2014年7月30日水曜日

青島俘虜郵便‐青野原収容所 Die Kriegsgefangenenpost Tsingtau - Das Aonogahara Lager

縦書為替印シリーズも先週やっとこさ郵便電信取扱所までたどり着きました。
緊張しました。
自分のコレクションを客体化するのは面白いんですが、冷や汗も出ます。
と言っても、穴だらけのリーフをゴタゴタ並べてウダウダ駄文を書いただけですが…。

野戦局為替之章など、まだまだ重要な分野がたくさん残っていますが気分転換に分野を変えてみます。

ちょうど百年前に第一次世界大戦が始まりました。1914年(大正3年)728日です。

日本がドイツに宣戦布告したのは翌月の823日ですが、靑島を巡って日本と思惑の異なるイギリスとの事前調整に時間を要したとのことです。

ドイツ軍の靑島要塞五千名に対しその十倍の兵力で侵攻しました。
Waldeck総督は、賢明至極、武士の名誉を保てる程度の抵抗だけを示して自国兵士の命を守りました。

彼らはハーグ陸戦条約批准に基づき1912年(明治45年)公布された陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約第2章に定める俘虜として国内12箇所に分散収容されます。






































※「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」作成

日清戦争での俘虜の取扱との違いは、形式的にはこの条約の有無にあるようです。
実質的には、対欧と対中との姿勢の違いでしょうが…。

私が初めて手に入れた俘虜郵便が靑野原です。
収容所の検閲印や中継印もさることながら絵葉書の女性に目が行き、気に入って買いました。

「兵庫・瀧野」の消印の無いことに気がついたのは手に入れた後です。

郵趣とはいえ、マテリアルは俘虜として来日した生身の人間の葉書です。無事に祖国に帰れたのかまで調べ上げました。

靑野原については、幸い大津留厚先生の「青野原俘虜収容所の世界」という本が一般向けに出版されています。
また、「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」という詳細なデータを持つサイトがあります。
http://homepage3.nifty.com/akagaki/indexb.html

史料は、「アジア歴史資料センター」で沢山見ることができます。
実に幸せな環境です。

リーフの葉書はただの挨拶状ですが、差出人の名はEwald. A. Königさん。
今はポーランド領となっているPosenのご出身。
海軍砲兵隊の1等砲兵さんだったそうです。

しかし、上述のサイトによると、海軍というのは派兵のときの編制(※)であって実はほとんどが陸軍兵だったとのことです。

        ※ 軍隊の「師団編制」などは、「編成」ではなくこの字を使います。
          現在でも、学校教育法などでは「学級編制」と表記しています。
          軍隊の名残でしょう。

絵葉書には筑前名島の朱印が押されています。最初は、「日本の誰かから貰ったものだろう」くらいに思っていました。

アジ歴で「欧受大日記」を調べると大正8年(1919年)末現在で寄付された絵葉書の累計は8,330枚にもなっていました。
俘虜一人当たり1.8枚ほどです。

ところが差出人の経歴が判明してびっくり仰天。
彼はDas Fukuoka Lagerから収容換された74人の一人でした。

世界中どこでもオッサンは若い女の子が好きなんでしょう。
(たとえ俘虜の身の上であっても)
まさか記念に持っていたSchöne Fräulein [現在は使いません。Frauです] の写真が、100年後に好事家の手によって自己の収容歴を証明されることになるとは。

私にとっては正にビギナーズラック。
リーフには簡単にしか書き込んでいませんが、名島に行ったのは俘虜の半数ほどで、他は他所の公園に行っています。

全てが理解できて、次に気になったのが(本当は最初に気になったのですが…)この生意気そうな小娘美しいお嬢さんのこと。

いろいろとネットで調べると、やはり蛇の道はナントカで、歴とした玄人 ― 新橋の半玉で濱勇という姐さんと判明しました。

これはこれで立派なコレクターズアイテムだそうで、かの有名な新橋の照葉姐さんやもっと若い音丸ちゃんなどと並んで、アメリカにも幾人かのファンを持つ人のようです。

さすがにアメリカまで行くと、ちゃんと名前を呼んで貰えず、Hamaryu / Hawayu みたいな変な呼び方に変わってマシタ。
Her name is not Hamaryu nor Hawayu = How are you. Her correct name is Hamayu, which is the name of flower "Crinum asiaticum". ですぞ。

これら芸妓さんの絵葉書は今の芸能人・アイドルのブロマイドと同じ役割を果たしていたらしく、芸能週刊誌に代ってさまざまなゴシップ本も近デジで見ることができます。

彼女らの社会的地位も芸能人並み ― とはいえ青鞜社に代表される「当時の」女性地位向上運動家から見れば「醜業婦」…。

驚くのは、写真技術です。小川一真氏によって写真絵葉書("rppc"と略称されてます)の印刷用にコロタイプが普及したことと併せて、見事なライティング技術です。

詳細不明ですが、東京は芝区にShisui Naruse氏の営む萬集堂という写真店が有り、このような芸妓さんの写真を手がけていたとか。
他にも、Yoto Tsukamoto氏など優れた写真技師が鎬を削っていた ― 全部受け売りです。

彼女らの写真は好評を博し、当然のように海賊版が大正期まで出回りました。その一枚でしょう。

リーフを御覧ください。
発信者に敬意を表して下手なドイツ語も添えています。異国情緒が出て良いナと…。






































【自己評】 これはこれで自分としては満足してます。

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