今日御覧いただくマテリアルは、何日もかけて知識の整理を十分にしておかないと混乱を招くだけだからです。
「縦書為替印‐郵便電信取扱所」という投稿タイトルではありますが、温泉と中宮祠という余りにも有名なこの二つの取扱所の為替印はまったく持っていません。
何十万円という相場もさることながら、相場形成の機会もありません。
故田辺猛さんの言葉を借りれば、「押し込み強盗でもしないと手に入らない」品物です。
そのかわり、丸一郵便印を入手しています。
温泉は2年前、中宮祠のカバーは今年の4月でした。
いえ、書留便でも郵便局時期の日付印でもありません。
話を始める前にまず、マテリアル自体を御覧いただきたいと思います。
肥前 温泉/36. 8. 30/便号不明
もうひとつ(一組)あります。
肥前 温泉/36. 5. 18/ロ便
5月の消印のものは、同じロットに含まれていたものです。
(来歴は後ほど紹介します。)
おそらくは、外国宛絵葉書に貼られていたものでしょう。
中宮祠はコルヴィザールカバーです。
ただ、切手3枚が脱落し(というより剥がされ)別の切手が後貼りされた姿でした。
何とも情けない姿ですが、まごうことなきコルヴィザールの金釘流。
横濵消しの2枚が後貼り。6銭5厘分の切手―おそらく3枚―が脱落しています。
引受の日付は、明治37年8月10日ロ便。
この日付は、郵便電信取扱所では書留に限り引受の日付印を押印するという公達が発せられたあとです。
後貼りを剥がしました。こんな具合です。
裏の封蝋(La cire à cacheter)と着印です。
オーストリアハンガリー二重帝国の紋章みたいに盾が二つ並んでいます。
封蝋を正位置にもどすと、右が天使、左が鷲。そこまでは同じですが、二重帝国の紋章との違いは王冠がひとつ。しかも国王のそれではなく、貴族の冠です。
フランスの制式では、男爵はこんな立派な冠はつけないことになっていたようです。
男爵が冠に真珠を付けるのはドイツやオーストリアの風習だったらしいです。
Capitaine de Lepinière(ルパニエールの代官とでも訳せばよいのでしょうか?フランス語は全く駄目です。いや、英語もドイツ語も中国語も…。)の夫人に宛てた手紙がフォンテーヌブローに転送されています。
色々と調べていると、Wikipediaにコルヴィザールの解説を見つけました。
英語版はこちら。http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Pierre_Corvisart
フランス語版はこちら。http://fr.wikipedia.org/wiki/Charles_Corvisart
先の温泉の単片3枚もリーフに整理しました。
こちらは、ルールどおりの書留カバーに押印したものを併せて貼り込んでいます。
宛先は、先ほどの夫人の旦那さんです。
ここまで御覧いただいて、本日は失礼します。
これらに対しての考えを次回に投稿します。
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