2014年6月9日月曜日

縦書為替印‐月型

今日は朝からドックに行ってきましたが、外は日増しに蒸し暑さがたまらんようになってきました。
私の住処は京都府の八幡市という田舎町で、石清水八幡宮のお膝元という以外特に何も無い町ですが、京都市内と同じような蒸し暑さと冬の底冷えは ― 自慢になりませんな…。

縦書為替印の大型と年型は、一昨日まででリーフを御覧いただき終わりました。
今日から月型を冷やかしていただきます。

どういう風にリーフ作りをすれば良いか考えました。
明治も27年になると、郵便電信局も増えてきています。
切手にこの為替印が押印され始めた明治23年の年度末に258局だった郵便電信局が、明治35年度末にはほぼ6倍の1,552局に増えています。
郵便局の方は、同じベースで、3,345から2,529局とほぼ3分の2に減少です。
それでも郵便局の方が多数決で勝ったまま「通信官署官制」に移行することとなります。

「それがどうした?」と聞かれても困りますが、月型になりますと、まあ早い話が郵便局/郵便電信局を分けて集めなくても良いのでないかというずぼらな発想です。

リーフを見ていただきます。
月型の初期使用は縦書の雄seiun19jpさんなどがせっせと良いものを下げ渡してくれはりますので助かっています。

楢村郵便局は、縦書の使用期間改称なしなので迫力に欠けますが面白いので入れています。

中段の虻田局は、せっかく使用期間の短い郵便局が赤二で入手できたのに、多いはずの郵便電信局が薄消しのままです。

下段の足守・庄原はスペース稼ぎの誹りを免れません。「学生のレポートなら落第点」―どこかで聞いた言葉ですが―でしょう。
消印はどのタイプでいつごろ褐色から黒色に変化したのか、これでは全く分からない!
そこはそれ、まあそのうち集まりまっしゃろ ― ということでご勘弁を。

次回は月型のその2です。


【自己評】 次回の月型その2とセットで。

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