昨日はお見苦しいものを御覧いただき恐縮至極です。
お口直しに今日は飛び切りの貴重アイテムを御覧いただきます。
「ダルマ型」という呼称は、縦書のパイオニア田中寛さんによって名付けられたものですが、親しみの湧く名前です。
従前から後志の南尻別のみが知られ、しかも所有者が故村田守保さんでした。
その後、猪野知昭さんが対馬の小茂田を発表されました。
また、外地(台湾)でも複数の局で同型のものが発見されています。
使用データは、内地の2局が明治34年の2月から10月。
外地(台湾)が、その前年―明治33年です。
さすれば、
① 明治33年の後半に逓信省が多くの日付印を発注した際、全部の局をいくつかのグループに分けて外注し、
② その中の一グループに「辺境の地(と言えば大変失礼ですが)グループ」があり、
③ 成果品のうちのいくつかがこのダルマ型であった。
― ということは想像に難くないと思われます。
しかし、台湾局のデータは明治33年8月があり、内地の2局は明治34年ですから、もしかしたら発注は2回あったのかもしれません。
これらは全て推測ですが、小茂田局既知データの前年度=明治33年4月は月IIK型でした。
ですから、全くの空想ではなく確度は高いかと思います。
南尻別は、実は四半世紀ほど前にデパートの切手バザールで入手したものです。
三軒目くらいに立ち寄ったブースで、赤二の縦書を大量にストックブックに入れて売っておりました。
1枚50円。その頃は何の知識もなかったのですが順番に眺めて行くうちに、1枚だけ年月日の文字の無いものが目に留まりました。
「1枚だけでごめんね」と言いながら買いましたが、切手屋の親父さん、私の後を追いかけて「後学のために理由を教えてくれ」と言ってきたものでした。
その後、「フィラテリスト」誌に浅見さんの連載が始まって初めて全貌を知りました。
連載の終りに為替印各タイプの台切手一覧があり、
「よし、全タイプを赤二で揃えたろ」などとアホなことを気楽に考えていました。
スタンプレーダーに澤護さんの「郵趣反古集」28として縦書のことが書かれました。
あの澤さんでさえ「ゴールはまず見えない」と。
当時の事情を物語る面白い記事ですので、コピーを併せて御覧いただきます。
(雑誌1冊の全体の半分以下ですので、著作権には触れないと思います)
【自己評】 大袈裟な言いようですが、この切手はどうしても早く世に出してやりたかったのです。私みたいな三流収集家が陋屋の書斎に埋もれさせたらバチが当たります。
さりとて、切手展に出品するほどの実力もなし、今さらあがいても老い先も知れて、それならということで「練習帖」の名目を拵えました。
もとより、リーフ作りに先達の方々のアドバイスをいただくためというブログの趣旨も変わっておりませんが、このようなものを後数枚御覧いただくことも大きな悦びです。
沢さんの記事です。スキャナの使い方が下手で読みにくい部分があります。
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