2024年2月5日月曜日

爲替取扱所・郵便受取所の為替事情( JAPEX2023出展リーフ反省記)ー第3フレーム

 この展示のテーマである「明治29年までに為替が開始された受取所」については何とかフレーム跨ぎなどの作法を崩すことなく2フレームに収めることができました。

ところが郵便史は3フレーム必要です。本来ならば、明治30年以降の受取所についての概括と全体の結論となるべきマテリアルを第3フレームに収めるべきです。

しかし「全体の結論」なるものは未だ整理できていません。受取所のマルコフィリーは完成されて久しいのですが、為替史などというものは誰も考えたことのない分野です。

致し方なく、それらしき材料を並べて誤魔化すようなリーフ展開になってしまいました。

事程左様にズボラをかました出展ですので、「金」も「大」も付かない銀賞でも御の字かとも思われますが、未開の分野に挑んだことは事実として残しておきたいと考えています。



全体の総括ということであれば、受取所に限定せず郵便為替全体の変遷を見る必要があります。

第3フレームを、全国にある同名局の整理から入ったのは悔やまれます。マルコフィリーの重要な課題ではありますが郵便為替史としては縁の薄い事項です。

敢えて理屈付けをするなら憲法成立年=明治23年から金本位制施行年=明治30年までの間に為替を扱う局・所が1,952箇所から3,028箇所に増加したことの当然の帰結として局名整理が行われた ーという程のことしかありません。




















フレーム第1列の右端にようやく明治30年以降の受取所の登場です。
通常、「受取所の一斉改称」は明治31年11月17日のことを指しますが、その前年に行われた大阪の一斉改称についての評価は顧みられたことがありません。

果たして(一斉改称を試行したかった)遞信省の指示によるものであるのか、市域の拡大に伴うなどの独自の事象なのか不明です。改称の手法も両年で趣を異にしていて、大阪は所名を簡潔明瞭にする傾向があるのに対し、全国版は區名や市名を挿入するという単純な手法を採用しています。




















このリーフも為替史の中核部分からみれば木に竹を継いだような異様さがあります。
経済の急速な膨張に伴って、為替のみならず電信も急拡大したのですがそれを表現するのにマルコフィリーの郵電局表示形式を並べるのは多少気が引けます。
せめてリーフ下部の表を折れ線グラフで表せば良かったのですが…。

ついでながら、リーフ上部に引用した遞信省年報の要点は「事務の整理」ではなく「職員削減=人件費節減」にあることは明らかで、具体的には局長俸給を指しています。

従来の局長の俸給が15円であれば、電信局と郵便局とで30円必要であったのを、郵便局長の上級職に郵電局長を新設して18円の俸給に設定すれば12円/局の節減です。

明治29年度では、964局×12円×12月≒13万円ほど節約できこれを局数拡大に伴う一般吏員増加分の俸給に充てることができます。
(俸給8円でも1,000人分以上に相当します)

面倒な理屈はさて措いて、本当は振分型5局の赤二揃えを自慢したかった
ーとは余談です。


































第38リーフ下部のグラフも言葉足らずで、全国の有料電報のうちデータの残る4年度間で見ると6~7割は郵電局所から発せられたことはわかりますが、郵・電局(所)数の増加もGDPの拡大も入っていません。




















郵電一体化で一列のうち3リーフを使い1リーフ余るので、そこにこの戦時国債を入れました。

「證書送達」印は珍しいものではありませんが、その正体を紹介するのはこのリーフが初めてだと思います。

日露戦争の戦費調達の一手段で、大半は外債に拠ったとのことですが国内債も一役買っています。

他に当然増税もありましたが、蔵相が財界に「悪法は承知の上でお願いする」と頭を下げた逸話が残っています。

リーフ書き込みのとおり、まず日銀総裁の首を挿げ替えて国債は日銀が買支えをするという構図です。MMT理論の犠牲となった前々総裁も…。戦争好きの権力のやることはこんなもんです。




































この「郵便電信取扱所」も他の郵便受取所と同様に民間委託です。したがって遞信省職員録には所名も所長名も掲載されていません。

しかしながら、局・所としての格付けは2等局相当で明治38年4月の全受取所廃止に際しては2等郵便局に格付けされています。(一般の受取所は3等局に改定)

民間運営ながら集配まで受け持ち、土地柄で常に外国郵便を頻繁に取り扱うとなればしかるべき措置と思われますが、中宮祠の方は欧米の公使や書記官のためのサービス機関そのものです。
何らかの形で外務省が関わった運営と見るべきでしょう。


































この2リーフは郵便貯金ですが、為替と貯金の関係を私はまだ整理できていません。直接に相関性を求めるのは強引すぎます。

リーフNr.27の下部に示した表を基に、為替の払渡超過額と貯金残高とを比較してみました。










折線グラフで表すべきものではありませんが、為替額との比較で見やすくしました。
東京府を除けばどの県もよく似た数字ですが京都・大阪・愛知だけは百万円前後に達しています。

また北海道は振出超過のトップクラスですが、貯金残高は京都・大阪に次ぐ大きさです。
換言すれば非常に大きい購買力を持っていたことになります。
これは屯田兵や道庁の役人に支払われた俸給に由来すると思われます。ざっと3万人程度です。

敢えて県ごとの「豊かさ」(県民ごとの豊かさではない)を求めるとするならば、為替の払渡超過額ではなく、貯金残高に求めるべきでしょう。

三面等価則のうちGDEの大半を占めるのは、個人所得・企業所得です。為替も貯金も経済活動のうちのリテール部分(為替は遠隔地取引のみ)を担っていますので、貯金残高はそのまま個人所得+中小零細企業の余剰所得にほぼ等しいはずです。




















為替が手形交換所に持ち込まれた経緯はリーフに示したとおりですが、こんな大きな出来事が話題にならないのは不思議です。
世に櫛型の朱印として珍重されているだけで、由来を説明した人は皆無です。




















最終リーフは大量の為替・貯金情報を管理する機関です。
当初は為替貯金局の一元管理であったものが、日露戦争の軍事為替管理等の都合もあり、大阪・下關の2支所開設、さらに情報の分散に不都合を感じ再度一元管理に戻ります。

一元管理後は帳簿式からカード式に切り替えられましたが、この規模になると誤記に基づく違算は恒常的に発生し、事務葉書を使用した口座開設者への照会状がいくらか残存し、照会文は何種類か印刷されています。日付印は当然遞信省構内の丸二や櫛型ですので目立ちます。

フレームごとの紹介はこれで終わりますが、次回はJPSから頂いた講評を紹介し、私なりの考えも書く予定です。




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