2016年6月9日木曜日

青島俘虜郵便‐名古屋寺院収容所                              Die Kriegsgefangenenpost Tsingtau                                 - Das Nagoya Tempellager                               Seesoldat Konrad Drzisga Gef.-Nr. 2507

今までこき使ってきたWindows Vistaがついに昇天されました。
代わりに届いたWindows Edgeの使い勝手は得も言われず、摩訶不思議…。

「お気に入り」がとてつもなく使いづらく、それでも慣れる外ありません。
さて、梅雨にも入り本日は名古屋寺院収容所です。

収容所研究についての偉大な先達方の案内をウェブで拝見するのですが、もう一つ要領を得ません。

アジ歴も肝心の部分が見つからず、それでもやっつけてしまいました。
しかも俘虜の二等兵さんのお名前が「Drzisga」。

どう発音するのか迷いました。 ― そうか、ロシア系か…。「ドゥロツィスガ」。
なんとなく一人で納得してしまっています。

次は、恒例の収容所の場所探し。
「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」の名古屋収容所のページには

「門前町の東本願寺西別院天寧寺および梅川町の長楽寺等に」と述べられています。

いろいろ調べましたが、「西別院」ではなく「別院」のようです。
「西別院」は本願寺派の別院の意です。

したがって、東西を付すなら「東別院」。
もっとも名古屋市内のすぐ近くに西別院もあります。





























毎日お世話になっている「今昔マップ」さんからの切り貼りです。
次に判らないのが「天寧寺および梅川町の長楽寺」。

ネットで調べる限り天寧寺は西別院のすぐ東側に今も見つけることができます。
長楽寺はネットでは南区。梅川町でもありません。

しかも、アジ歴では私は両寺の名前を見つけることができませんでした。

今月から名前を変えた旧「近デジ」。
大正4年刊の「名古屋市史 社寺編」に掲載されていました。









































ともに曹洞宗のお寺さんです。
「長楽寺」に似た名前を探しました。

これでほぼ作業は完了ですが、両寺は将校宿舎に充てた等の記事が見つかりません。
仕方なく見切り発車です。

次に興味を引いたのが絵葉書の裏側。
どうも「Abs.  Seesoldat private  Drzisga」と書かれているようです。












私の読み間違いでなければ―の話ですので、拡大図を入れておきます。
英語なら二等兵ですが、ドイツでもそういう呼び方があったのでしょうか。

リーフです。
縦書きの朱印「俘虜郵便」と「檢閲濟」とが仲良く並んでいますが、二連印ではなさそうです。






































































【自己評】このリーフも調査が中途半端に終わって「推定される」などと書かざるを得ませんでした。
残念。

2016年6月2日木曜日

青島俘虜郵便‐大分収容所                              Die Kriegsgefangenenpost Tsingtau                                 - Das Oita Lager                               Oberleutnant Wilhelm Schliecker Gef. -Nr. 2050

今回御覧いただくような悪筆は大変に疲れます。
ジャパンさんのPA92ノービッドお余り品です。

読むのにとても苦労します。読めません。しかも、珍しい名字。時間がかかります。

このこととは逆に、収容所の所在はすぐに判りました。
しかも、事務所の位置まで。

公式記録での収容所の所在地は、事務所の位置を以って代表させています。

幸いにもアジ歴で、大分他の収容所から人員増員願いが陸軍省に提出されています。
大分は、涙ぐましくも分散収容所と事務所との位置関係・道矩を図解してまで増員の嘆願です。(JACAR-Ref.C03024470100














































将校用宿舎に充てられたのが赤十字大分支部の建物。
全室洋室で、将校用として相応しく思えたのでしょう。

下士卒用宿舎は、大分市立第一尋常高等小學校。4棟の校舎のうち1棟を使ったそうです。
(収容所に充当された時の名称です。以前は郡立。)

二つの建物のことは、大分県立図書館のサイトや別府大学の安松教授の論文等にも詳しく書かれているので、助かりました。

リーフは、絵葉書の裏の大分支部の写真も大きくコピーしたかったのですが、二つの収容所と事務所との位置も図示したかったので、しかたありません。



【自己評】

将来、各収容所ごとに複数の絵葉書を並べられるようになれば、サブタイトルリーフ風に収容所の地図や関連データのみのリーフを作り……まだ先のことです。
筆記体が読めません。葉書宛先の工場は、"Ultramarinfabrik"と書かれているようにも思えますが「群青の工場」―何のことやら。
もうひとつ、葉書の通信文も。〇〇グリュッセのようですが、これまたさっぱり。
まあ、気長に何年も付き合えば解るようになるのでしょう。

さらに気になるのが、私のドイツ語表記です。例えばタイトルも、Oitalagerと書いてもよいのかダメなのか。まったく知りません。

なお、葉書右下の「A396」は郵便物管理のための俘虜ごとの番号なのかどうか判別できませんでしたので、今回はパスしておきました。