今年の京都は、いかにも梅雨らしい気候が続いています。祇園祭もまた雨ではないかと ―。
本日の京橋局については、変わった絵葉書を入手しました。
毎回の相も変らぬご託を並べたてる前に、こちらを御覧ください。
大きな一等局の建物の外観写真は、絵葉書ならずともたくさん残っていると思います。しかし局内の風景となると…。
こんなものは私も初めて見ました。
ブラウザの迷惑も考えず、無駄に大きい画像で恐縮です。
明治37年の建築とはとても思えないほどハイカラ。
カウンター上には柵も柱も無く、オープンで斬新な設計には驚きます。
都心の新設局だからこんな思い切ったことができたのでしょう。
画像の中央あたり、局舎内の柱には遞信大臣の訓示が掲示されているのが御愛嬌。
局員の皆さんはいかにも実直な公務員の顔、その辺から連れてこられてモデルにならされた少年…。
リーフに飾るなら、これに負けないインパクトのあるもの ― 京橋局の初日消し葉書などと並べないといけませんが、ありませんな…。
Delcampeで5ポンドでした。出品者はcirca1910との注釈を付けておられましたが、まずそのあたりか或いは少し遡って開設当初というところでしょう。
(絵葉書収集家が言うところの「3分の1線」ですので、時代はそんなに下りません。)
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で、本日のエンタは郵便切手貯金䑓紙です。何故か丸二の䑓紙はあまり見かけません。水剥がしされて青の波線が入った丸二の単片は時折見かけるのですが…。
京橋局の消印なのですが貯金主の住所は近江國彦根町字本=現在の彦根市本町です。
東京観光の土産に作ったものではありません。
住所記載欄に「天長地久奉慶會」と彫られた朱印が押されています。
リーフにも書きこみましたが、民間の貯蓄奨励団体みたいなものです。
それが中央政府の金融政策に絡め獲られて、元金は国債に/利子は大典記念の慈善事業に
― と便利遣いされてしまいます。
もとより、誰が悪い―という議論をするものではありません。
日清戦争後の経済の急激な拡大と増税、そして突然の恐慌 ― この中で初めて市井に流行した「勤勉貯蓄」の思想。
先の天長地久奉慶會発起人 阿部銀子という方が貯蓄勧奨のため全国遊説されたときの苦労話を読むとそのような雰囲気がよく理解できます。
※近デジ「国の礎 日本国民共同郵便据置貯金」
郵便貯金がこの時期に突然隆盛を迎えた事情については、ネットでは「明治期郵便貯金制度の歴史的展開 - 東京大学社会科学研究所」というのを参考にさせていただきました。
この論文には興味深いデータが二件掲載されていますので、併せて紹介させていただきます。
(いずれも、「百年史」などの孫引きの玄孫引きデス)
郵便貯金のシステムが「郵便貯金規則」として網羅的に整備されたのが明治38年。
据置貯金や共同貯金など、この阿部銀子と言う人の努力もあったようですが、やはり時流に叶った運動だったからでしょう。
児童生徒の貯金者数には驚くばかりです。
リーフです。
【自己評】貯金䑓紙を展開してリーフに貼りつけた上、裏までコピーしようとするとこんな窮屈なレイアウトに。
でも必要最小限のことは書けたから良しとしよう。という感想です。
個人の思い入れとしては、ブログ本文に書いたような世情を表現できるものが欲しかったのですがそれはまた次元の異なる話として措いておくべきでしょう。
彦根市本町と言うのは、学生時代の一時期私が下宿していた所です。城下町の町人地区で京都と全く同じ地蔵盆行事があったのは驚きました。
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