2015年7月11日土曜日

丸二型日付印 ‐ 遞信省構内郵便局   ―鶴本房五郎さんへの書留配証便―

台風がだんご三兄弟みたいに南海上に並んでいるせいか蒸し暑い日が続いています。
今日は難関のひとつ(と言われています。)、遞信省構内郵便局です。


















京橋區木挽町に所在した時期です。この丸二型使用終了の後=明治40年に火災で焼失し、同じ敷地に再建されたのが、郵便創始50年切手に描かれた建物 ― 皆様ご存じのとおりです。

構内郵便局は明治37年の年末に設置されています。

余りにもデータが少ないために書くことがありません。
私の持っている切手・エンタもお示ししているものが全てです。

時刻入りと時刻空欄(半欠け―京都では「半ちょろけ」などと言う人がいました)、そして櫛型に更新されてからの印影。単片は4枚だけ。

櫛型にも「.」の代わりに「-」を使用したことがあるのは、この構内郵便局に限りません。
東京局でさえ同じことをやっています。

さて自慢のエンタ=書留配達証明エンタについてですが、農商務省特許局からの発信です。
農商務省は、この時期、逓信省のほぼ北東100mほどの距離(敷地境界同士の最短距離)にありました。

ネットで「今昔マップ」なる便利なものが利用できます。
























なるほど「最寄り局」には違いありません。地図で納得です。

名宛人は鶴本房五郎さんという方。
郷土の余土村では小学校の副読本に出てくるほどの人物だそうです。

京橋局消しの貯金䑓紙のページに書きましたが、日清戦争後の政府の取った政策の一つに地方改良運動というのもありました。

「篤農家」と呼ばれる地方の名士が数多く誕生し、農業の生産性改良に心を砕いた時期です。
その中のお一人で、大阪の第五回内國勸業博覽會に「余土村々是」を出品、一等賞牌を受賞されておられます。
(水を差すわけではありませんが、この一等賞牌はかなり乱発気味でした。)

もうひとつ、単片の方ですが、時刻は「前9 .40」となっています。新発見のようです。
リーフに「結束」という言葉を書き込んでいますが、次回にでも少し説明させていただきます。




































































【自己評】昨日、The Philatelist Magazineの「号外 全日本切手展2015 参観ガイド」を見ていましたら、あの「八戸カバー」の展示リーフに発信人「ルセー」さんの写真が刷り込まれていました。
八戸カバーだからそんな展示が許される ― とは思っていません。
過去の郵便物は、多かれ少なかれ歴史の一局面・一場面であったはずです。
一個人の手紙に過ぎなくとも、歴史の動きの中で生まれたものである以上、そういうことについても思いを致すのは悪いことではないと信じています。
   …大上段の生意気なセリフで恐縮至極ですが、いっぺんこういうことを書いてみたかった、という程度ですので聞き流してください。

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