いろいろと寄り道をしながらのリーフ展開ですが、ブロガー本人だけは楽しんでいます。
京橋局については前回に貯金䑓紙を御覧いただきました。今日はもう一つのエンタ=軍事郵便のリーフです。
丸二型日付印の時期の軍事郵便は日露戦争ですので、ありふれています。
大本営高等郵便部の統計が残っています。(アジ歴レファレンスコードC03020170300)
この年の3月から5月だけでも、第1軍に宛てた野戦郵便は3万通/日を超えます。
リーフに貼り込む意味と言えば、近衞師團所属の兵宛であることくらいでしょう。
(名宛人の元吉賢一さんとおっしゃる方、階級が不明ですので仮に兵とさせていただきます。)
近衞歩兵第4聯隊は靑山にありましたが、近衞師團兵は全国の聯隊からの精鋭選抜ですので親元が偶々東京市内であるというケースです。
この聯隊は、第3聯隊とともに近衞歩兵第2旅團に編制されて最前線に送り込まれます。
そしてこの手紙が到着して間もなく、遼陽会戦・沙河会戦という激戦を経験することとなります。
(敵味方関係なく理不尽に失わされた命―という趣旨で合計しますが、彼我10万人超の死傷者数です。)
内地にいたならば、発信人である父君もさぞや鼻が高かった ― で済むのですが、この手紙、発信の6日前に玄界灘で「常陸丸事件」というのが起こっています。
ウラジオ艦隊が兵站線を断つべく玄界灘を遊弋中に常陸丸等を撃沈し、乗船していた後備近衞第1聯隊の千余名が戦死してしまった事件です。
このニュースで世論は沸き立ちます。「海軍は何をしていたか」という、ナショナリズムに裏打ちされた非難です。父君も気が気ではなかったと思います。
残っているのは封筒だけで書状の内容は不明ながら、内地からこれが出てきたということは名宛人も無事御帰還であったと思いたいものです。
さて、この手紙の伝送経路ですが、リーフ書き込みのとおり
京橋局⇒東京局⇒宇品局(交換局)⇒(いずれかの野戦局)
ということになります。
交換局が宇品局であることだけでも特定できましたので、大威張りで書き込みました。
この後も交換局は次々と変更・追加されてゆきますが、アジ歴の史料を見ると大本営から遞信省に掛け合う形で決定されているようです。
このブログを書くに当たっていろいろ調べると、もうひとつ判ったことがあります。
遞信省から派遣される局員の方々は、軍属身分をお持ちになるということです。
現代のように休職/退職辞令を出して然る後軍属発令という面倒な手続きは無く、派遣辞令だけだったと見えますが、給料はどちらから出ていたのでしょう。
リーフです。およそ戦争なるものと関わりのあるものを見ると、やはり多少は緊張します。
相手国も我が国も合わせて数10万の命が奪われていった場です。
戦闘だけでなく、無慮数万人の軍隊が歓迎されざる他の国に行くからには、
その国の無辜の人々の迷惑ははかり知れません。
食糧や水はもとよりウンチの量でさえ膨大です…
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【自己評】今日、安保法案が衆院を通過したとのことで想いは他事に…。
与野党関わりなくナショナリストを以って任じる方々(一番右から一番左までこの思想は未だに健在です)にはお分かりいただけないと存じますが、胸中お察しいただければ幸甚です。
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