濵勇についてはその半生がほとんど知られていないようです。
萬龍や照葉、小奴、さかゑ、ぽん太といった有名どころは同時代史料(芸能雑誌風の)が豊富なようですが榮龍や濵勇となると…。
あと残っている収集済み絵葉書は、衣装でいえば、
〇 庇髪の黄八丈2着がそれぞれ2枚
〇 桃割(或いは島田)の黄八丈2着が計6枚
〇 澤瀉の中振が3枚
〇 立湧の小紋が5枚
〇 澤瀉の中振が3枚
〇 麻型の小紋が4枚
〇 絞の浴衣が4枚
〇 その他不明が4枚
です。
昨日はリーフ作りをさぼって画像だけに終始しましたので、私自身も違和感を覚えていました。
ついてはもう1リーフ作ってみました。
大正期のリプリントです。元の撮影者NS(ナルセ・シスイという方らしいです)のモノグラム・ロゴが判り易く消されているのが御愛嬌。
庇髪姿ではありますが、先に挙げた黄八丈着用のころより前と思われます。
しかし「大阪 濱勇」と書かれております。彼女は大正の初めころには東京を離れ関西に移籍したらしいのです。
神戸の絵葉書資料館には先の立湧小紋衣装の絵葉書に「神戸村や 愛子」の解説が付いています。
(ネットでの展示資料です。一度現地を訪れて根拠をお尋ねしたいと思っています。)
大阪では梅香/千代吉の名を使ったこともあるようです。
リーフを拵えた理由は、資料を見つけたからに外なりません。
近デジです。請求記号350-363「大阪独案内」97コマ目の抜粋をリーフに刷り込みました。
山下席という店で藝妓稼業に精出していました。この本には一本(=15分)当たりの値段まで紹介されていますが、新町では藝妓は娼妓の倍ほどの値です。
この資料のお陰で、少なくとも大正3年の前半ころには大阪新町で営業していたことが確定です。
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さらにリーフ作りに励みたいのですが、やはり表面の制作商店名の分析やら何やら、随分と手間がかかりそうなので、前回同様画像のみの一気出しとします。
【庇髪-黄八丈格子】
(収集済み)
(未集)
紬を黄八丈と特定した理由は特にありません。織上がりの端正さ、売れっ子になった彼女なら高額の紬にも手が届くようになったのでは ―という程度です。
【庇髪-黄八丈縞】
(収集済み)
(未集)
【黄八丈細縞】
(収集済み)
(この細縞はこの2枚しか見たことがありません。)
【澤瀉柄中振】
(収集済み)
(未集)
【立湧小紋】
(収集済み)
(未集)
【麻型小紋】
(収集済み)
右側の1枚は特に気に入っています。本気で落籍させたくなります。
(未集)
【海辺風景-絞浴衣】
(収集済み)
濵勇シリーズの最初に御覧いただいた海岸風景‐絽の着物と同日の撮影と思われます。
(未集)
【詳細不明の4枚】
(収集済み)
下段左は、実に珍しく歯を見せて微笑んでくれています。
ものの本では、この時代、ワンテイクに1分以上必要だったとのこと。笑顔が少ないのは納得です。
【以下すべて未集です】
(打掛)
(秋草柄中振)
(身支度‐襦袢姿)
(詳細不明)
でき得れば、襦袢姿のは入手したいものですナ。
これで濵勇レゾネ(素稿)はおしまいです。
前回も書きましたが、(未集)としたものは、ネットから無断で画像を借用しています。
問題があればお手数ながら御連絡ください。
すぐに対処いたします。
ただ、レゾネ作成という野望に免じて寛大な御処置をいただければ誠に幸いです。
また未見絵葉書や新しい情報を入手しましたら、リーフ姿で御覧いただきます。
こんなものもあるぞ ― という方がおいででしたら是非お知らせください。
抗議も情報提供もいずれも mich.yamada あてにお願いします。
(※アットマーク以下は、グーグルのメールです。)
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次回からは元に戻って、とりあえず丸二シリーズの大阪とその支局から再開です。