丸二型日付印は、間違いなく郵便と為替・貯金事務とに使用されています。
(東京局に限って言えば、貯金事務に使用された証拠となるマテリアルは未集ですが…)
しかし、電信事務には使用されなかったようです。
前回、東京局に交付された印軸の本数について推測を書きましたが、きっと電信にまで使用できるような豊富な本数ではなかったのでしょう。
いわんや当初の公達からも除外された電話事務においてをや ― です。
電話事務は、郵便及電信局管制下でも通信官署官制下でも、郵便(電信)局の所管事務外でした。
そして、明治36年12月の改正通信官署官制下で初めて郵便局の事務として位置づけられています。
それでも、東京郵便局局舎内では当初は取り扱わず、従来の錢瓶町庁舎で営業していました。
(~明治38年5月)
したがって、丸二型時代の東京局の電信事務は、従来どおり丸一電信印が使用されています。
電話事務も丸一電話印です。
では、丸二型の試用が終了して櫛型印の時代にどうなったかというと、説明がとても面倒ですので本日のリーフの最下段に掲げた表を御覧ください。
丸二型の例の「料金收納印」は遅くまで残りました。
実は、丸二型日付印を集めるに際して、「その後はどうなった?」という疑問が出てきました。
幸い手元に明治40年台の丸一電話印があったので「ぅん…?」となった次第です。
色々調べた結果が上掲の表です。
もうひとつの疑問がありました。
改正前の通信官署官制で「中央郵便局」という名称が我が国で初めて使用されましたが、
「その次にこの名称が使われたのはいつなの?」
という話です。
おそらくは中央官僚の非実務的な机上の空論で構築したのであろう官制は、10か月経ないうちに崩壊してしまいました。
明治43年4月に成立した「通信官署官制」(このブログでは便宜上「新通信官署官制」と呼びます)
で東京郵便局と大阪郵便局とが「中央郵便局」と改称されています。
しかし、日付印の上では、電話事務を除いて「東京中央」という表示はなされていません。
不勉強のため理由は不明です。
櫛型日付印に「〇〇中央」の表示がなされるのは、大正2年4月の「地方遞信官署官制」下のことです。
これも調べて、初めて判りました。消印は(消印も)奥が深いです。
最後に、まだ隠し玉があります。リーフに貼りつけた(スペースだけ設けた)日付印で全部ではなかったのです。
改正前の通信官署官制では、表に示したように郵便局の一部の事務を通信管理局が執行することになっていました。
数年前にヤフオクに出品されたものだったと記憶しています。
当時あまり興味が無かったので資料画像だけ残していました。
(出品は多分seiun19jp御大 …落札なさった方も含め大変申し訳ありません、画像を勝手に使わせていただきます。)
どんな事務に使ったのでしょう。
「電話」と断り書きをしていますので、いわゆる消印洩れ消印ではなさそうです。
まだまだ判らないことだらけだということだけ判りました。
では、例によって穴だらけのリーフです。
【自己評】
隠れた珍品を見つけ出すこともさることながら、納得できるまで制度を詳細に調べるとなると、怠惰な私にはとても手に負えません。
何か解説書があるのなら、どなたでも御教示いただけると幸いです。
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