前回の続きで大阪の支局(市内局)ですが、今回以降は丸二型の使用期間中に設置された局です。
本日は2局だけです。出し惜しみではなく、この両局だけが7.6mm環を交付されました。
これ以降の4局(梅田・心齋橋・天王寺・玉造)は、その開設時期から8mm環しか無いものと思われます。
難波局が明治35年11月、博覽會局が明治36年2月の開設ですので東京には7.6mm環の手持ちがまだ有ったのでしょう。
――以前に、このブログで丸二型はどこで拵えられたのでしょう…みたいなことを書きましたが、「逓信博物館75年史」が地元の図書館に所蔵されていました。
読むと、「築地活版所」という民間の印刷屋さんに作らせたと書かれていました。
7.6mm環の製作者はこれで確定です。
8mm環は判りません。水牛製の丸二を売り込むハンコ屋さんが現れるほどに競争が激しかったようです。
私のデータでは、大阪での8mm環の初期データは「明治36 -12 -25」(大阪局)です。
難波局も博覽會局も集めやすい局ではありません。数のありそうな既出の6局でもタイプ別に分けると穴だらけですので、まずはこんなところでご勘弁のほどをお願いします。
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ここで、リーフを御覧いただくのですが、先日とても変なものを入手しました。
鳴美さんの「郵便消印百科事典」p275にも掲載されていますが、消印の印影上は「大阪中央」はY型の現れる大正2. 4. 1以降のはずです。
何度か前の私のブログにも一覧表を付して、東京局と大阪局との局名表記の変遷を御覧いただいています。
http://kitte-renshucho.blogspot.jp/2015/08/4.html
http://kitte-renshucho.blogspot.jp/2015_05_01_archive.html
明治43年4月の新遞信官署官制施行で東京局と大阪局とはそれぞれ局名に「中央」が付きましたが、印影には表れていません。
大正2年4月施行の地方遞信官署官制で初めて「中央」表示の消印が出現する ―と思っていました。
もしかしたら、新発見でしょうか。
出所は明確です。先日のeBayです。
Buy It Nowでした。
どうか、櫛型にお詳しい方々の御意見を賜りますようお願いします。
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それでは、リーフを御覧ください。
【自己評価】
大阪博覧会のことは、縦書丸一の「大阪博覽會前郵便電信受取所」のリーフ作りのときに調べておいたので、一部はコピペです。
確か、博覽會郵便電信支局の写真が掲載された本が近デジにあったと記憶していますが、データ保存していませんでした。
結構きれいな建物でしたので、見取図と並べてもよかったのですが…。
次回は、その博覽會局のエンタ2通を御覧いただく予定です。
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