2015年9月25日金曜日

丸二型日付印 ‐ 大阪 心齋橋・梅田・天王寺・玉造・停車塲内局

大阪市内局の最終リーフです。
この辺りも集めるのに苦労するエリアではあります。

以前から書いている印軸の大きさについてですが、幸運にも梅田局で7.6分環と8分環との両方が揃いました。

しかも、明らかな字体違いのおまけつきで。

丸二のそもそものコンセプトは、活字を使用することで
「最も磨滅しやすい局名も、その度ごとに印軸全部を替える必要はなく、単に局名活字だけの取替えで鮮明となる便利なもの(逓信博物館75年史)」
だったはずです。

7.6分環は築地活版所の製品だったのですが、8分環は別のお店の作製に係るものだったのでしょう。

梅田局に外径の異なる印軸が2種類あるなら、心齋橋局も多分同様だろう ―という良い加減な憶測でリーフのレイアウトを決めました。

天王寺・玉造の両局はさっぱり分かりませんが、手元にある3枚が全部8分環なのでとりあえずは7.6分環は無いものとしておきました。

次の停車塲内局についてですが、JPSの「日本郵便印ハンドブック」(2008年刊)には、
「大坂停車場内には丸一印が確認されており、丸二印は使用されていないと推定される。」(上掲書p75 原文のまま)
と書かれています。

一方鳴美さんの「郵便消印百科事典」(2007年刊)には、
「明治38年中の10日間は、丸二型日付印を使用した筈である。」となっています。

「ハンドブック」には参考文献として本池さんの「詳説」が掲げられていますので、勘違いでしょう。

郵趣協会さんは、たまにこういう不注意をやらかさはります。以前の「郵趣」誌で印刷局の彫刻者列伝みたいな記事がありましたが、斎藤知三を斉藤と表記して平気な顔でした。

記事そのものは結構読みごたえのある面白いものでしたが、こういう不注意は全体をぶち壊しにしてしまいます。

かく申し上げる私自身も、不注意と軽率のミルフィーユみたいなところがありますので偉そうなことは決して言えません。

リーフです。





































































【自己評価】相も変わらず穴だらけですが、このエリアで揃えておられる方は何名もおられないと承知しています。
大きな顔ができるリーフではありませんが、まずます平均的なところと自身を甘やかしています。

別件ですが、全く歯の立たなかった「新橋」局をやっと1枚手に入れました。






























オーダーキャンセルながら、時刻入りです。

これで、局名だけは完集です。(時刻入り・無しを区別しなければの話です)
停車場内だけはこの世で誰も持っていませんので、これも別です。

次回は、建制順に従って横浜局の予定です。

2015年9月12日土曜日

丸二型日付印 ‐ 大阪 博覽會郵便電信支局/博覽會郵便局 (2)

やはり何の準備も無くリーフを白紙から作り上げるというのは骨が折れます。

二通のエンタを 1 リーフにまとめようとしましたが見事に失敗。
結局一通づつ貼って 2 リーフになってしまいました。

そのような次第ですので、本日は 2 リーフを一度に御覧いただきます。
まずは、ノーマルに且つスタディーリーフ風に拵えたものからです。

幸いにも封書の宛先が大阪市内ですので、封筒の裏に薄いながらも大阪中央局の着印が押されています。

本町通の一本北側が安土町(旧東區 北船塲とも呼ばれる地域)です。配達局は船塲局か高麗橋局の所管と思うのですが、消印は中央としか読めません。

無理すれば船塲と読めなくはありませんが、船塲局には「后8 .30」は未見です。
不思議に思いながらも、そういう消印やししゃーないか ― とリーフを作りました。

 
 博覽會局は既知データが少ないので、多少なりとも熱心な方々のお役にたてればと両局の伝送便の対応―いわゆる「結束」で想定されるものを書き込みました。

単に珍しい局のエンタをリーフに貼って喜んでいるだけとちゃうで…というアピールでもあります。
実際、 博覽會局の時刻はこのリーフに書き込んだだけしか判明していないようです。


次は、世に言う「コルヴィザール=エンタ」です。




































































しかし、ちょっとおかしい。コルヴィザールの字はこんな丸文字と違うぞ ―と思われた方は正解です。

リーフにコピーだけを貼ったモノクロの方が、男爵御自身の金釘流です。
このエンタは、男爵の御令嬢 Solange Corvisart さんの自筆です。

男爵は奥さんと一緒に来日されたことは知られていますが、お嬢ちゃんも連れてきたはったんですな。

昨年の春から五月雨式にコルヴィザールカバーがDelcampeで大量に売り立てられました。
私も何通かは入手しましたが、売られた全てのカバーは同一人物宛です。

以前に郵便電信取扱所(中宮祠・温泉)を取り上げたときに御紹介したラピニエール領主さん宛です。
http://kitte-renshucho.blogspot.jp/2014/07/1_25.html

いかに男爵が手紙マニア(切手マニア)でも度の過ぎる通数です。
売られた手紙の中に、一通だけこんなものがありました。






























私が落札したものではなく、Delcampeからの無断借用です。
落札された日本の方にもお詫びを申し上げます。すみません。

このカバーの筆跡も先述のお嬢ちゃんです。
(裏は、例の「男爵/古る宇゙ゐざる」の角印です。)

宛先の住所は他と一緒ですが、このカバーだけが Monsieur Didier Corvisart という人に宛てられています。
この名前の人は、コルヴィザール家の開祖のはずです。

でもナポレオン I 以前の人ですので、その人ではありえません。
もしかすると、故郷に残した男爵の御令息ではと思っています。しかもこんな名前を付けるくらいですので、跡取り息子さんでしょう。

この領主さん宛の手紙は、ほとんどが書留です。
養育費を送っていたのかも知れません。

今日御覧いただいた絵葉書のお陰で、コルヴィザール男爵の令嬢の名前が判りました。

また、数ある男爵のカバーの中で丸文字を見つけたら、それは秘書代わりの仕事をさせられていたソランジュ=コルヴィザールちゃんの代筆だということも。

【自己評価】エンタのリーフは、何を書き込もうかいろいろと迷います。
そのために、丸二のリーフ全体をながめたときに不都合な不統一感が出てしまいます。

そこは「練習帖」ですので御容赦を。いろいろとやっていく内に「これや!」というレイアウトの決定版ができればよいのですが…。

余談ながら、目ざとい方はお気づきでしょう。リーフにモノクロで印刷した横浜の丸二の絵葉書、着印はあの「中宮祠郵便電信取扱所」です。

また横浜の丸二のリーフで実物を御覧いただきますので、今回はこの辺で。
次回は、大阪の市内局の続きの予定です。

2015年9月8日火曜日

丸二型日付印 ‐ 大阪 難波局/博覽會局          (付―明治43年の「大阪中央」櫛型印)

前回の続きで大阪の支局(市内局)ですが、今回以降は丸二型の使用期間中に設置された局です。

本日は2局だけです。出し惜しみではなく、この両局だけが7.6mm環を交付されました。
これ以降の4局(梅田・心齋橋・天王寺・玉造)は、その開設時期から8mm環しか無いものと思われます。

難波局が明治3511月、博覽會局が明治362月の開設ですので東京には7.6mm環の手持ちがまだ有ったのでしょう。

――以前に、このブログで丸二型はどこで拵えられたのでしょう…みたいなことを書きましたが、「逓信博物館75年史」が地元の図書館に所蔵されていました。

読むと、「築地活版所」という民間の印刷屋さんに作らせたと書かれていました。
7.6mm環の製作者はこれで確定です。

8mm環は判りません。水牛製の丸二を売り込むハンコ屋さんが現れるほどに競争が激しかったようです。

私のデータでは、大阪での8mm環の初期データは「明治36 -12 -25」(大阪局)です。

難波局も博覽會局も集めやすい局ではありません。数のありそうな既出の6局でもタイプ別に分けると穴だらけですので、まずはこんなところでご勘弁のほどをお願いします。

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ここで、リーフを御覧いただくのですが、先日とても変なものを入手しました。


























鳴美さんの「郵便消印百科事典」p275にも掲載されていますが、消印の印影上は「大阪中央」はY型の現れる大正2. 4. 1以降のはずです。
何度か前の私のブログにも一覧表を付して、東京局と大阪局との局名表記の変遷を御覧いただいています。
http://kitte-renshucho.blogspot.jp/2015/08/4.html
http://kitte-renshucho.blogspot.jp/2015_05_01_archive.html

明治434月の新遞信官署官制施行で東京局と大阪局とはそれぞれ局名に「中央」が付きましたが、印影には表れていません。

大正24月施行の地方遞信官署官制で初めて「中央」表示の消印が出現する ―と思っていました。

もしかしたら、新発見でしょうか。

出所は明確です。先日のeBayです。





























Buy It Nowでした。
どうか、櫛型にお詳しい方々の御意見を賜りますようお願いします。
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それでは、リーフを御覧ください。




































































【自己評価】
大阪博覧会のことは、縦書丸一の「大阪博覽會前郵便電信受取所」のリーフ作りのときに調べておいたので、一部はコピペです。

確か、博覽會郵便電信支局の写真が掲載された本が近デジにあったと記憶していますが、データ保存していませんでした。
結構きれいな建物でしたので、見取図と並べてもよかったのですが…。

次回は、その博覽會局のエンタ2通を御覧いただく予定です。

2015年9月6日日曜日

丸二型日付印 ‐ 川口郵便電信支局/大阪川口郵便局

今日は川口局消しの官製はがきを御覧いただきます。

さして取り柄の無い、どちらかと言えば小汚い部類に入りそうな枚ですが、大坂市内の丸二が複数押されています。

以前に「今昔マップ」というサイトを御紹介しましたが、先日もうひとつ面白いサイトを見つけました。
「ポストマップ」という名前です。

























名前のとおりですが、昔の郵便局の場所がグーグルマップにロケーティングされていて、
















川口局の場所と現在の地名(大阪市西区江之子島1-9-15)とが判ります。

そこで、今日のエンタに登場する四局を今昔マップに落としてみました。


































こんな具合です。

局同士はさして離れていません。何度も御紹介している本池さんの本によると、
当時の結束で、川口局⇔大阪局間が12分、船塲局⇔大阪局間が16分、高津局⇔大阪局間が26分です。

ただし、支局間の交換便は無かったそうです。

リーフ左側の葉書では川口局が「前 10」、大阪局が「后 0」です。この葉書は大阪局で消印を押してもらうまで随分長い間待たされたことになります。

もう一方のリーフ右側の葉書は、わずか34時間の間に大阪市内の中心部を駆け巡りました。
船塲の消印が押されているのは、どうも紛来としか思えません。下手な字の葉書をより見苦しくしている葉書右上の汚れは転送付箋の跡と考えれば納得できます。

そこで、この葉書に押された三つの局の間に隠された大阪局の交換便時刻を推定してみました。

既知のデータではこの時期には、
「后 2」、「后 3」、「后 4. 30」、「后 5. 30」があるとのことですので、真ん中の二つが当てはまります。

ただ、そこは初心者の悲しさ ― リーフに貼るべき現物が満足に有りません。
2銭は一年以上前のデータ、しかも年賀状対応で特別結束を組んでいる可能性の高い時期です。説得力に欠けますので、何とかしてましなものと取り換えたいところです。





































































【自己評】字の下手くそさで見た目の悪くなった青枠葉書でも、こうしてリーフに整理してみると愛着の一つも湧いてきます。
前回に御覧いただいた6局にもっとこだわってリーフ展開したいのですが、とりあえず先を急ぎます。
次回は丸二の使用期間中に設置された局です。

2015年9月3日木曜日

丸二型日付印 ‐ 大阪6郵便(電信)支局/大阪市内6郵便局

今日から暫く大阪の支局(市内局)にお付き合い願います。

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本題に入る前に、一言お詫びと訂正をば…(汗)

とんでもない思い違いをしていたということが判明しました。
東京局の印軸の大きさについてです。

改めて以前のブログページを眺めてみると、「東京中央」局の時代からは全て8分環が使用されているような書き方になっています。

画像を見ただけで判別できる方は相当のスペシャリストと存じますが、リーフに現物をお示ししたとおり「東京中央」の時代は8分環は未見です。

無いと断言はできませんが、多分無いでしょう。
そして、通信官署官制改正後に初めて8分環が出現しますが、7.6分環との混用です。

以上、お詫び旁々訂正します。
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東京の支局でも同じ構造でリーフを作ってみましたが、大阪でも懲りずにやってみます。
丸二の使用期間中、一貫して局名に変更がなく移転改廃がなかったのは6局です。

ただし、船塲局だけは、郵便電信支局ではなく郵便支局です。

この6局で、大阪局で試したのと同様に印軸の大きさを調べてみました。
データが少ないので大雑把な傾向くらいの話ですが、8分環は高津局以外は見つかりました。

手持ちの中で最初期は、明治3711日です。

リーフでは天滿局がブランクになっていますが、本池さんの教科書の写真で判別しました。






















先述の東京局についての訂正も、実はこの写真での判別がきっかけです。
測定せずとも一目で判別できるようなことも書いたかと思いますが思い込みが入ったり、全影が見られないと、かなり難しいですね。( ― 弁解です)

リーフです。





































































【自己評価】相も変わらず穴が目立ちますが、自分ではよく頑張った方だと思っています。大阪は結構集めるのに苦労します。70点。
川口局の8分環は、時刻入りではと思いますが読めないので、暫定的に時刻無しの方に入れました。