JAPEXに先行しての公開です。
東京の丸二型日付印については、本池悟氏が1995年に「駅逓」誌に時刻欄の分析結果を発表され金字塔となっています。
時刻欄の表示時刻は櫛型印のように押印の現在時点ではなく、逓送のスタート時刻を表示しているというのがこの研究の基軸となります。したがって表示時刻はその時点より30分ほど未来の時刻ということになりますが、これは単に従来便次を示すイ便・ロ便・ハ便…表示であったものを各便の差立時刻に置き換えただけということに由来します。
しかしこれは通常郵便物の逓送についての分析であり、逓送規定上峻別されていた小包便の逓送や配達便の体系については残存史料が無く論及されていません。
この展示は同氏の研究を前提としながら、小包便の逓送や配達便のまで分析の範囲を広げようとするものです。
4年前に全日展に出展した時は「解りずらい」旨の講評でした。生意気ながら、今回は基礎から講釈しようというつもりでリーフ作りをしました。
丸二型日付印が使用された明治後期の郵便局は24時間稼働していました。局の郵便窓口時間は6:00~22:00(冬季は7:00~)でしたが、別配達は24時間受け付けます。
局員も隔日の24時間時間勤務で、毎日の出勤者数は全局員の半数です。郵便・電信各担当1名は徹夜ですが、この2名以外は4時間程度の仮眠が許されます。
かように東京市内局は24時間活動を休んでいません。上掲研究で通常便についての活動は解明されましたが、空白の時間帯が残ります。この展示はその空白を分単位で具体的に示そうとするものです。そのために二つの概念に着目しました。
一つは「補助便」と呼ばれているもので、法令上は「小包便」です。郵便現場の業界用語ですが「小包便」との違いは「最速達経路選択の原則」に従って通常郵便を混入させることにあります。
例えば、最終通常便(19:00~20:00ころ)の差立後に窓口で普通便や書留便を引き受ければ、そのあとの最終補助便(21:00ころの小包便)に一緒に乗せて差し立てます。
このような逓送に対する緻密な配慮の結果として、補助便をはさむ時間帯では①差立作業の局員②配達作業の局員③窓口係員が各々異なる時刻の日付印を同時に持つという現象まで生じます。(リーフp3)
では補助便は何時何分に差立てられたのか。通常便は本池氏によって全容が解明されていますが補助便は記録が無く、残存データの分析からしか解明できません。
展示では、主要な二つの期間(本池氏分類の第Ⅱ期と第Ⅴ期)についてその結果を示しています。(リーフp6/p16)
配達便を除いた差立便(通常便12便+補助便5便)だけを見ても、局員は睡眠・食事以外の19時間、分刻みの時間業務でした。睡眠が4時間、食事が20分×3回。食事時間も差立・配達各12回の作業スケジュールに緻密に組み込まれていました。(リーフp5)
なお、国立国会図書館デジタルアーカイブに興味深い書籍があります。明治42年の刊行ですが東京郵便局長板野鐡次郎著作の「通信要錄」(一般向けの郵便局業務全般についての解説書)です。
この本に小包便と通常便との扱い方の違いが明瞭に書かれています。「通常便が一刻一分を争うような逓送速度・回数であるのに対し、小包便は通常便の半分以下の逓送回数としている」という旨の記述があり、補助便の差立回数・時刻の確定はこれに示めされた考え方を基礎においています。
また、この時期に刊行された他の書籍にも参考にできるものがあります。在京苦学生のためにアルバイトを紹介した本などです。ここに郵便局での業務内容や正規職員への昇進など詳細に記述され、現場を知らなければ書けないような作業内容や業務用語が随所に見られ信憑性の高いものです。
局の24時間の活動を分析する二つ目の概念は「配達便」です。
丸一印の時代から「集・配一体の原則」が厳密に守られてきました。一日の第1取集便はイ便、次の作業=第1配達便もイ便、次の第2取集便はロ便、第2配達便もロ便…という具合です。
丸二印に替わっても差立便の時刻表示はそのまま配達便にも使われました。換言すれば取集便では未来の時刻を、配達便では過去の時刻を表示していたことになります。(リーフp2)
ところが、本池氏の研究によると明治36年4月から到着印には従来と異なる時刻が表示されるようになりました。配達開始時刻です。(リーフp4)
これは東京局に限った事象で、その他の市内局では本池分類の第Ⅲ期(明治36.9.20~)になってから同様の表示を開始しています。
理由は不明ですが、東京局の通常便配達数を見ると明治34年度が17百万通であるのに対し35年度は20百万通にまで伸びています。1日当たり9千通弱の増加です。同じ時刻表示の郵便物が取集にも配達にもでは混乱や事故を招きかねません。あるいは既に起こっていたのか、いずれにせよ深刻な事態だったことは確かです。
しかしこの事象は郵便史の研究にはありがたいことで、局員や集配人の動きをより正確に抑えることができます。
展示では、通常便の逓送、補助便の逓送そして配達便の合計三つの動きについて24時間の表の中に落としてあります。(リーフp16)
差立掛8名、配達掛8名、小包集配掛19名はそれぞれ19時間立ちっぱなしです。35年度の数字で見れば、差立が192千通/日、配達が56千通/日、差立小包が1500個/日、配達小包が600個/日です。
差立便なら1日=19時間で、10,105通/時間 8人で割れば1,263/時間・人です。
しかもこれは局内作業のみについての数字で、取集・配達は傭人(日給月給制の非正規職員)が同じく一日19時間を8km/hで走り回っています。
最初に、東京局の補助便に結束する各局の補助便差立便時刻を並べています(第Ⅱ期)。通常便の局間結束は全時期にわたって本池氏が解明済みです。その各局12便の差立時刻リストから外れたものが補助便の差立時刻ということになります。
使用済みの単片ですが小包送票に貼られたと思われるものは少なく、書留などの窓口引受の書留便料額が目につきます。
第2・3フレームは市内局の局内結束・局間結束です。
最初に、東京局の補助便に結束する各局の補助便差立便時刻を並べています(第Ⅱ期)。通常便の局間結束は全時期にわたって本池氏が解明済みです。その各局12便の差立時刻リストから外れたものが補助便の差立時刻ということになります。
使用済みの単片ですが小包送票に貼られたと思われるものは少なく、書留などの窓口引受の書留便料額が目につきます。
第2フレームの2行目からは各市内局の局内結束を中心に展示しています。各局の絵葉書屋さんで入手したものがほとんどですが、いわゆる「絵葉書値」で随分高くつきました。
局ごとにリーフ上部に集配の時刻を表にまとめていますが、第Ⅴ期になると郵便量が急増し、集配一体の原則が崩れています。集配が同時刻であったり、配達が取集に先行したりと交換局の中心たる東京局に合わせて各局とも集配の時間配分に苦労しています。
東京市内局間結束による逓送や駅受渡便経由の配達は、その経路・時刻を書き込んでいます。
第Ⅴ期になると、従来の補助便が急減します。(リーフp32)遠隔地逓送の中軸たる汽車の便が石炭の戦時規制で減少していますが経済の急成長期ですので時間当たりの輸送力は増大しています。
これらの結果として通常便の逓送時に小包便を併送する傾向が生まれたようです。
以下が局別の局内結束です。
このリーフは本題と全く無関係です。戦後になって碩学泰斗と謳われるお二人の若き頃の葉書です。興味のある方のために文面も掲載しておきます。
以下は次回出展のトレイラーのつもりです。
愚痴になりますが、小包送票には泣かされます。補助便の証明には必要不可欠ながら手紙やはがきと違って、抽斗にしまわれることは無く包装紙と一緒に捨てられます。
勢い単片で代用することになりますが、補助便ですと主張しても根拠が無く懐疑の目で見られるだけです。
何とかしたいのですが…。
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