今回から神戸シリーズですが、神戸はマテリアル不足のためスキップします。
いくつか未発表の時刻も有りますが、それだけで納得のゆくリーフ作りはできません。
内心忸怩たるものがありますが、しゃーないです。
いきなり支局からです。
縦書(為替印)ではさんざん苦労させられた兵庫支局ですが、丸二印でも印軸の更新やり放題。
揚句、御禁制の縦書為替印を明治35年4月まで引き延ばして使用するという傍若無人の振舞い…。
それでも、花の神戸の中心地 ―何故か愛着が湧きます。
自ずと収集にも力が入って、何とか満足できるところまで来ました。
勿論、素人としての水準での話です。専門家ならあと1~2リーフはブランクなしで拵えなければならないでしょう。
道楽も厳格に楽しもうとすると険しい坂道みたいになります。
丸二印の電信使用は多くありません。東京局と大阪局とでは丸二を使わず、専用の丸一電信印で対応しています。
これは、単に交付を受けた丸二型の印軸が少なかったというだけのようです。
返って支局の方が電信事務にも使えるほど印軸数に余裕があったのでしょう。
明治36年の5月と7月のデータを持っていますが、「神戸」を磨滅のように見せかけて半分削った印影は、意地らしくもあります。
本池さんの教科書では、新たに拵えた(「神戸」抜きで)「兵庫」だけ表示の新活字を明治38年10月頃の出現としておられます。
今回、私自身もリーフの書き込みをするまで気がつかなかった最初期データを併せて御覧いただきます。
明治38年7月9日に既に使用されていました。
この「兵庫」だけの印軸には愛称を付けたいような気がします。
本池さんは「新活字」と呼んでおられました。私個人の趣味で言えば「大兵庫」 ―いや、もとよりこんなしょーもないことを声高に主張するつもりはありません。
それにしても、よく本省通信局でこんな局名表示を許可したものだと思います。
根拠は判らず仕舞いですが元から「神戸」を冠しない「兵庫」局だと言われれば、仕方なかったのかも。
【自己評】頼信紙は売り下げ時の裁断が乱暴です。リーフに貼ってから気づいたのですが、一旦直角に切った台紙に貼ってからリーフに貼ったほうが見栄えが良かったですね。
もうひとつ、今まで書き込んできた丸二型使用時期の局の年表を入れ忘れています。
「よっしゃ、でけた~」だけで貼り込んでしまわずに、一日二日温めておいた方がミスは少なくて済むのですが…。
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