今日から横濵局シリーズを見ていただきます。
このリーフを作るに当たってちょっと困惑しました。
今までさんざん書き倒してきた「
8分環」が見当たらないのです。
「無いもんは無いねんし、まぁええか」で済ませばよいのですが、でき得れば「無い」と断言したくなります。
そこで、新兵器を導入。
今まで使っていた「
VIEW CRAFT」を止め、「
SCOTT MULTI-GAUGE」を買いました。

これです。(左画像は従来の愛用品)
私を直接悩ましていたのは、この切手です。
左の画像は一見
8分環のような堂々とした風合いがあります。
それでも
VIEW CRAFTで測ってみると外径は24mmもありません。
くどいようですが、
7.6分環と
8分環との違いは外径です。
内径は、活字の互換性を担保するために
7分(≒
21mm)に統一されています。
模式図のとおりですが、換言すれば
7.6分環と
8分環とは外枠の厚みの違いに過ぎないということです。
しかしこのわずかな差が、一瞥したときの印象を大きく変えてくれるのですから面白いものです。
さて、
MULTI-GAUGEの出番です。
栗
3銭の右図ですが、
① まず内径が
2.1mmですので、そう測れるようにゲージの位置を決めます。
② その上で外径を見れば、正しく測定できます。
上図の切手についての結論は、「余分のインクが外環の内側に回り込んで外枠に
1.5mmの厚みが出てしまった」でした。
これで、「横濵局の印軸には、
8分環は多分無いだろう」くらいのことは言う自信がつきました。
さてリーフ作りに取り掛かるのですが、頼りになるのは本池さんの教科書だけです。
明治
35年度末までの時刻表示一覧は推測を交えています。
既知の時刻一覧を眺めて目についたのは、「前
6」と「前
6.30」とがどの年度にも出現していることでです。
本池さんは「季節的なことか」と考えておられます。
同日使用の可能性も否定できませんが、とりあえずは「交替現象」としておきます。
※ リーフでは「交代」としましたが、「交替」が正しいですね。
(同日使用の例が見つかれば、丸一で言う「ワ便」ではなく、「イ便」に対して「イ
ダッシュ便」を使ったことになります)
リーフ最下段の時刻空欄は、
8分環が無い≒最終年度まで
7.6分環が使われた
ことを示すために並べましたが、ちょっと苦しいですね。
理屈だけは一人前ながら、並べると実力のメッキが剥げます。
でも、半分埋められただけでも上出来と甘い点数を付けています。
ブランクを一つでも減らすためにエンタのリーフを援用します。
35年度の「后
5.40」です。
それだけで終われば心正しいスタディーリーフですが、道草です。
単片リーフでも靑島の独軍少尉を引っ張り出しましたが、横濵ならこの人でしょう。
後の横浜松坂屋になった旧野澤屋さん。
「入九」の屋印は、「
2代目茂木惣兵衞が信州から横浜に出てきたときに、蟇口に
9銭しか残っていなかったから」というのは後世のこじ付けのようです。
【自己評価】道草とは言いながら、御当地の英雄所縁のエンタ。
このくらいの道草は許される範囲でしょう。
私は、横浜の消印を並べるからには必要不可欠の話題 ―と思っています。
次回も再度道草。コルヴィザールさんに登場願います。
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【追記】
以上を
10月
6日の午前に投稿しました。
その日の午後に、
eBayの落札品が届きました。
届いたロットの中に何とも名状しがたい菊
25銭が入っておりましたので、ありのままを御覧いただきます。
8分環と言えなくもない ― 或いは
8分環かも知れない ― と言う以外に何も言えません。
外径で
24mmに掠っています。
実測で
23.6mm~23.8mmほどでしょうか。
消印の日付は
38年
4月で、使用開始から
3年経過しています。
しかも、当時の我が国経済の大きな部分を担った横濵局です。印軸の稼働量も大阪に比すべきほどだったでしょうか。
印軸の磨滅が無かった=印軸の更新が無かったなどということはあり得ないと思います。
或いは「逓信博物館75年史」に記されているとおり、
「最も磨滅しやすい局名も、その度ごとに印軸全部を替える必要はなく、単に局名活字だけの取替えで鮮明となる便利なもの」
だったのでしょうか。
横濵局の
8分環の有無についての結論は持ち越しです。
もっと沢山のデータが必要です。
以上、追記しておきます。(
10月
8日午後)