2015年8月16日日曜日

丸二型日付印 ‐ 大阪郵便電信局/大阪中央郵便局/大阪郵便局 (1)

暫くぶりの丸二です。
本日からは大阪とその支局(市内局)にお付き合い願います。

東京とその支局の印軸の大きさ別やら時刻表示の分数/小数の区分、日付表示の8駒型/3駒型などという面倒な作業から解放され一息つけます。

― と思ってリーフ作りを始めましたが、世の中は思いどおりに行かないのが常。
やっぱり大阪にも印軸の大きさに違いがありました。

東京の部で何度も書きましたが、大阪局でも
〇 初期のものは外径が7.623.03mm
〇 その後に        8.024.24mm
が現れます。

大阪に限っては、明治35315日の公達第181號に拘わらず明治3541日以前の使用例が見つかっておりません。

したがって、この公達の施行以前に姿を消した分数型/日付表示の8駒型はありません。
しかし印軸の大きさは何の定めも無く、担当者の裁量一存で決めることができたのでしょう。

何度も引用させていただいています本池論文(詳説)に「逓信博物館七十五年史」の引用があります。
丸二の製作に至る過程を孫引きします。

「浅草蔵前の高等工業学校、小石川橋の陸軍造兵厰、大阪造幣局等と協議を重ねた」
と書かれているそうです。

この記述だけでは印軸がいずれで作られたのか不明ですが、上記の複数箇所の製作である可能性もあります。

製作場所によって印軸の外径が異なっていたのでしょうか。

また、初期において印軸の活字以外の部分のみを大量に拵えておいて、活字部分は後から製作したのかも知れません。

或いは、本池さんが上述の論文で述べておられるように、大阪だけが予算の都合で使用開始が遅れたということであれば、東京の古い印軸を再使用した

……想像を逞しくすれば、さまざまなことが考えられます。

外径8.0分のものは、改正通信官署官制の施行時にようやく現れます。
(私の持っている最古データは明治36年12月25日です。)

さらに面倒なことに、官制改正以降(=「大阪郵便局」の時期)も7.6分環が見つかっています。

また、本池さんが東京とその支局に関しては相互間の結束時刻に由来すると看破された時刻表示についても、首をひねっておられます。

大阪とその支局の時刻表示に関しては、結束時刻との不一致があるそうです。
単純そうな大阪でも解明されていないことが多いのですが、リーフです。





































































【自己評】
使用開始初年度の時刻表示を一緒に並べてみました。(いつもながら穴だらけではありますが…)

現在見つかっているのは11種類(=11便)ですが、これでは一便少ないです。
「午前7時/午前730分」に「未見」と入れているのは未見だからですが、この直後の大阪中央郵便局の時代には、午前5時と午前7時とが見られます。


























午前に3便だけというのは間尺に合いません。大阪中央と名前が変わったから頑張って一便増やしたというのも説明に無理があります。

山師みたいなリーフになってしまいましたが、ここは12便/日を前提にして一山当ててやろうと思っています。

もうひとつ、予算が単年度主義となっていますので、お金の要る仕事に関してはやはり暦年ではなく会計年度を基本に考えてゆくべきであろうと思っています。

東京以外は時刻表示ルール未解明だそうですが、とりあえずデータ作りは局別・年度別・時刻別でやっています。( ― 遅々として進みませんが)

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