結構良いペースで進んでいるので「いっぺん切手展に出してみたろか」とも思ったのですが、JAPEXの要項を見て「やっぱりあかんかな…」。
郵便史のカテゴリーではありますが、それ以外のこと=俘虜の日々の生活やら收容所長、俘虜情報局の思惑、日独の絵葉書に垣間見える風俗やら戦争観やら ― 興味の大半が郵便史以外のことに向いてしまっていて、何を言いたいコレクションなのかコンセプトを失っています。
もう少しいろいろな絵葉書に当たってみて、最短でも来年の全日展 ― コレクションの方向が見えてこなければ永遠にダメ…
今よりもっと理屈っぽくネチっこくリーフづくりをしてみないと五里霧中から抜け出せません。
それはさて措き、丸龜は髙橋輝和先生の一般向けの本があって大変便利です。また記録もほとんどすべてアジ歴で見ることができて「楽勝やろな」 ― しかし無いものは無いというのが世の常。
收容所事務所の位置探しは苦労しました。でも見つけました。
事務所の位置が分かったところで歴史解釈に影響を与えるわけではありませんが、他の収容所でも頑張って見つけ出しているので意地だけです。
丸龜は、検閲印でいえば4種類。
初期の枠有り縦書の「檢閲濟」、三角の「俘虜收容所」、三角の市川中尉ひらがな印、そして「滿るかめ」丸印です。
うち2種が集まりました。
「いちかわ」三角印はご本人が大正4年10月から1年ほどしか在籍しておられませんので難しそうです。
初期の「檢閲濟」も然り。集まり方は正直なものです。
まずは、恒例の地図と出入り表です。
出入り表はドイツのサイトにもありますが一部は記録と合致しません。そこは日本語が読める強み ―。 一致させました。
ついでながら、前回の靜岡も1人勘定が合わない原因も見つけました。上部アルザス籍の兵隊さんが宣誓解放を受けていました。
こういうことは記録に残したくなかったのでしょうか。
まあ、公表すれば我も我もと …。大変ですわな。
地図に「多度津道」というのを入れたのがミソです。丸龜驛ではなくお隣の多度津町から船で出入りしたようです。港からは徒歩。兵隊さんですから大丈夫です。
泰面鉄道建設の時みたいな行軍ではありません。
2リーフ目は「門前運動」の行進風景。
版権を有すべき初版ではありません。紙も大戦の資源欠乏の影響で粗悪です。複製した原版にも小さい埃のようなものが散らばって、ルーペで見るとバッチイです。
無いよりましかと思いながら貼りました。
名宛人の名前には閉口しました。
調べてもこのような苗字は見当たりません。ほかに読みようがあるのでしょうか。
どなたかお教えいただければ幸いです。
この「收容所記録」の「衞兵配置圖」に事務所の位置が明示されていました。唯一の資料です。
毎日の行進は衆目に晒す拷問のようなものではなく、むしろドイツ軍の誇りを誇示できる機会だったようです。
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【追記】
投稿後も名宛人の名前が気になっていろいろと調べているうちに、ふと気が付いてSchmidt名簿を繰ってみました.
当たりました。
私の語学力を超える解説をしてくれていますが、消防団で指揮を執っていた ― でよいのでしょうか。
早い話が民間人扱いで俘虜にはならなかった方です。
しかしずいぶんたくさん引っ越しをしてどっさり転職して子供さんもたくさん設けて、いらちなんですかな。
葉書の差出人Pflugerさんも文面や字体を見る限り多少横着な感じです。
靑島ではどんなご関係だったか知りませんがウマの合うた方々とお見受けします。
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3リーフ目は到着便。
クリスマスのフラワーオーナメントですが2月の着印。
他の例も調べましたがこれくらいの延着ならまだかわいい方でした。ロシア革命前夜のこととてシベリア鉄道も大変だったのでしょう。
ただ、差出人が" Lili Weiß " 全く無い名前ではないのですが出来過ぎ。あっさりした通信文ながらツボは押さえてあります。
多分お母さん ― "Lili Violet"を嫌ってしょっちゅうこう書いてはったんちゃうかいなと思うと…。
住所はグーグルで一発ヒット。ベルリンのど真ん中です。
今年のジャパンさんの戦利品ですが、下見で迷いました。切手をはがした跡が。
でも、剥がした上からGeprüft印があるからドイツ官憲によるものというのが明白、まるかめ印が鮮明やしまあええか ―で買いました。
リーフにも堂々と剥離跡を示すと、何となく立派に見えるから不思議です。
【自己評】
冒頭に書いた件、どうしようか真剣に悩んでします。
下手をすると(一般の方から見て)珍しいものを並べて喜んでいるだけのアホらしいコレクションになってしまいます。
難しいです。
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