縦書やら丸二やら消印を集めている間もせっせと俘虜郵便(絵葉書)の材料を何十枚か揃えました。
今日はあの板東ラーゲリ ― この葉書以外にも何枚か入手しましたが、とりあえずは全体の整理をしたいので1収容所1リーフのペースで進めてゆきます。
板東については、既に随分深いところまで研究されていることを改めて知りました。
絵葉書を眺めると、それでも判らないことがいくつも出てきて調べ甲斐があります。
御覧いただくエンタの差出人は、Josef Weber と判読できます。
(「Abs.」の欄は「Jos. Weber」ですが通信文末尾に「Josef」と書かれています。)
ところが Schmitt さんの名簿によると、板東在籍の同名さんがお二人。
お一方は III.S.B、もうお一人はM.A.K. 判別できませんが葉書の表書きがヴェストファーレンのお嬢ちゃん宛、しかも随分親しそうな書き方なので、そちらの御出身 ― M.A.K.所属の方と判断しました。
そこまで決まれば、あとはネットで選り取り見取りのデータの山。
収容所内のTapautau 5番小屋で大工さんをしておられた ―まで判りました。
(家具屋さんとの解釈もあります。)
タパオタオは、
のことです。
中国語でもDa(1) pao(4) dao(3) [カッコ内は声調]ですから音を正確に写しています。
青島中心地の北部にある中国人商店街(多分、占領・街路づくり時に追いやられた場所)です。
板東では敷地の南西角に俘虜たちの商い小屋が建ち並びました。
さて、残るは絵葉書の裏(表?)。
富田町は歓楽街、秋田町は遊郭のあったところのようです。
小初さんという名前。この衣装では芸・娼の判別ができかねますが、児ポ法に触れそうな年齢のお嬢ちゃん。
J.Weberさんは知人(或いは姪っ子)の女の子に日本人形でも贈るかのように葉書を選んだのでしょう。
検閲者の「アラカワ」は丸亀から異動で来られた通訳の荒川充雄さんであることが判っています。
リーフです。
リーフ展示のパターンはほぼ安定し、エクセルの原稿作りに余計な時間を割く必要は無くなりましたが、今度は、どんなテーマをどのように伝えたいのか全く分からないリーフの集積になってしまいそうです。
この時代の空気の片鱗を伝えることは面白いと考えていますが、コレクション全体を眺めて何か一貫したものが無いと…。
やってみないと判らないので、とにかくひたすらリーフづくりに励んでみます。
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