2024年2月9日金曜日

2024年2月5日月曜日 爲替取扱所・郵便受取所の為替事情( JAPEX2023出展リーフ反省記)ー「審査評」に対しての自己総括

 「審査評」に対する反論ではなく、それを基に自分なりの総括を試みるための短文です。

某大臣のごとく「どのような意見もありがたく受け取る」立場は変わらず、他者から見た自分のコレクションに対する意見というのは得難いものがあります。

まず、講評者に対して敬意を込めてお礼を申し上げます。

頂いた講評は次のとおりです。













何となく「違和感」を覚えました。この展示はタイトルリーフ冒頭のとおり「経済活動としての為替史」を示そうとしたものですが、講評者の念頭には「郵便史=制度史」との発想があったのではないでしょうか。

これは正当で何ら非難されるべきでない考えであって、従来構築されてきた郵便史はほぼ制度史です。

制度は為政者(遞信省)の考えたシステム設計です。例えば郵便の逓送路や結束時刻・時間などがこれに該当します。

しかしこの展示は、郵便為替用紙の様式の変遷や外国為替との交換制度を追いかけたりするものではなく、その制度設計が利用された結果を(数値を含めて)できるだけ体系的に示してみようという試みです。

狭義の郵便史に例えるなら、郵便逓送路の確定ではなく各路線ごとの郵便物数の経年変化を統計史料で追跡する ーというような作業です。

したがって「郵便史の作品には見えない部分があります」という辛辣な意見も制度史の観点からならば頷けますが、出展者には居丈高で心無い講評と感じられます。

同じく、「多くのリーフが東京、大阪、京都、神戸(原文は神戸)と言った特定の地域の為替印の展示」との批判も為替の枚数・金額を含めた経済活動史との立場ならば1フレームを充てるのは当然の帰結であるはずです。

      - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

再述しますが、これは講評者に対する展示者の身の程知らずの批判ではなく、展示方法や書き込みの稚拙さが生み出した誤解という展示者側の反省すべき事柄です。

      - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

講評の「郵便史として、このテーマで展開するなら、明治8年に始まった為替制度の歴史の展開を中心に置き」との一文が、経済活動史を中心にしたものは郵便史にカテゴライズされないとの宣言のように聞こえます。

郵趣は科学・学問・学術ではなく所詮道楽の世界です(理論構築の手法は科学的でなければいけませんが)。科学でも旧来のカテゴリーはどんどん破砕されていくご時世です。須らく郵趣人たるもの、自由な発想を妨げないような配慮は学者以上に必要ではないでしょうか。

もうひとつ展示者として反省すべきは、第1・第2フレームが「単なる各地地誌のアキュムレーション」に堕していないかという点です。

これこそが最も恐れていた点です。せっかく第27リーフで各都市の為替超過額を棒グラフで示しているのですから、せめて全リーフを通じて「各該当県/全国」の為替量(枚数・金額)の円グラフを示すのは最低限必要だったとの想いがあります。

さらに言えば、前回投稿のGDEと密接につながる県ごとの年度末郵便貯金残高もです。

もとより金持県/貧乏県の判別ではありません。和歌山県を例に挙げます。

明治27年度和歌山の外国為替払渡超過額は2,624円=和歌山ミカンのGDE増加貢献額

同年度全国の外国為替払渡超過額は300,624円⇒和歌山ミカンのGDE増加貢献度は0.9%

リーフに書き込まなかったのは橋向町も久保町も未収だったからです。

全国統計では全くわからない地域ごとの特色が市や県単位に分けるといろいろと見えてきます。しかし上述の「地誌のアキュムレーション」だけでは物足りなく、為替の経済史らしくするのに苦心の途上です。県ごとのGDEや人口分布も考慮しなければ満足できるものにはなりそうもありません。

(それならサッサとやれよ ーとのお声はごもっともですが…)

講評はさらに続けて、

「郵便受取所時代の為替がどのような経済的役割を果たし、取扱、発展を遂げたのかという、為替関連のマテリアル中心の展開」

を要求しておられます。

世に行われている制度史的郵便史からの連想ではないかとも思われるセンテンスですが、為替式紙を何十枚か並べたところで何か主張できるというものでないことは第1・第2フレームを見ればわかることです。

為替取扱所の始まりは「年を追って急増する為替量のうち局で捌き切れない分の補助を民間に託した」ことに尽きます。受取所が単独で果たした経済的役割というものは存在しません。

なお季節開設の郵便電信取扱所は例外で、西ヨーロッパ・東アジア・北米とのリンク役を果たしています。

その為替量を局別・受取所別に振出・払渡が何枚何円/1時間で示せる県・市もあるし不明の県・市もあるという以上のことは残存史料では解明できません。ただ類推はできます。

受取所の発展というものもあり得ません。明治38年4月1日にすべて三等郵便局に収れんされてしまいます。(温泉・中宮祠は二等局)

もちろん講評者も「マテリアル的には難しい」と認識しておられますが、具体的に何を指しておられるのかこの講評文だけでは私には皆目見当がつきません。為替の経済史には統計史料の方が大切と思っています。

為替の経済史全体から見れば、第40リーフの戦時国債を郵便局で扱ったこと(證書送達)と手形交換所に為替が持ち込まれたこと(交換払)などは、今回の展示で自慢できることの一つです。数字を含めて示すことができました。

しかしこれも受取所単独で果たした役割ではありません。戦時国債に至っては受取所では取り扱っていません。

- - - - - - - - - - - - - - -

結びに

偉そうなことをいろいろと書きましたが、もとを糾せば完成済みの縦書印マルコフィリーに飽き足らず、何か色を付けられないか ーという程度の代物です。

しかしマルコフィリーならばドヤ顔のできる品物をそろえたつもりです。

講評者もその辺は見抜いて、「消印はたくさん並んでいるが」との趣旨を述べておられます。

弁解ながら、タイトルリーフに書いたとおり「将来完成させるべき為替史の基礎資料/試論」ということでご理解賜ればと思っています。

文末ながらも講評者には改めてお礼を申し述べます。














2024年2月5日月曜日

爲替取扱所・郵便受取所の為替事情( JAPEX2023出展リーフ反省記)ー第3フレーム

 この展示のテーマである「明治29年までに為替が開始された受取所」については何とかフレーム跨ぎなどの作法を崩すことなく2フレームに収めることができました。

ところが郵便史は3フレーム必要です。本来ならば、明治30年以降の受取所についての概括と全体の結論となるべきマテリアルを第3フレームに収めるべきです。

しかし「全体の結論」なるものは未だ整理できていません。受取所のマルコフィリーは完成されて久しいのですが、為替史などというものは誰も考えたことのない分野です。

致し方なく、それらしき材料を並べて誤魔化すようなリーフ展開になってしまいました。

事程左様にズボラをかました出展ですので、「金」も「大」も付かない銀賞でも御の字かとも思われますが、未開の分野に挑んだことは事実として残しておきたいと考えています。



全体の総括ということであれば、受取所に限定せず郵便為替全体の変遷を見る必要があります。

第3フレームを、全国にある同名局の整理から入ったのは悔やまれます。マルコフィリーの重要な課題ではありますが郵便為替史としては縁の薄い事項です。

敢えて理屈付けをするなら憲法成立年=明治23年から金本位制施行年=明治30年までの間に為替を扱う局・所が1,952箇所から3,028箇所に増加したことの当然の帰結として局名整理が行われた ーという程のことしかありません。




















フレーム第1列の右端にようやく明治30年以降の受取所の登場です。
通常、「受取所の一斉改称」は明治31年11月17日のことを指しますが、その前年に行われた大阪の一斉改称についての評価は顧みられたことがありません。

果たして(一斉改称を試行したかった)遞信省の指示によるものであるのか、市域の拡大に伴うなどの独自の事象なのか不明です。改称の手法も両年で趣を異にしていて、大阪は所名を簡潔明瞭にする傾向があるのに対し、全国版は區名や市名を挿入するという単純な手法を採用しています。




















このリーフも為替史の中核部分からみれば木に竹を継いだような異様さがあります。
経済の急速な膨張に伴って、為替のみならず電信も急拡大したのですがそれを表現するのにマルコフィリーの郵電局表示形式を並べるのは多少気が引けます。
せめてリーフ下部の表を折れ線グラフで表せば良かったのですが…。

ついでながら、リーフ上部に引用した遞信省年報の要点は「事務の整理」ではなく「職員削減=人件費節減」にあることは明らかで、具体的には局長俸給を指しています。

従来の局長の俸給が15円であれば、電信局と郵便局とで30円必要であったのを、郵便局長の上級職に郵電局長を新設して18円の俸給に設定すれば12円/局の節減です。

明治29年度では、964局×12円×12月≒13万円ほど節約できこれを局数拡大に伴う一般吏員増加分の俸給に充てることができます。
(俸給8円でも1,000人分以上に相当します)

面倒な理屈はさて措いて、本当は振分型5局の赤二揃えを自慢したかった
ーとは余談です。


































第38リーフ下部のグラフも言葉足らずで、全国の有料電報のうちデータの残る4年度間で見ると6~7割は郵電局所から発せられたことはわかりますが、郵・電局(所)数の増加もGDPの拡大も入っていません。




















郵電一体化で一列のうち3リーフを使い1リーフ余るので、そこにこの戦時国債を入れました。

「證書送達」印は珍しいものではありませんが、その正体を紹介するのはこのリーフが初めてだと思います。

日露戦争の戦費調達の一手段で、大半は外債に拠ったとのことですが国内債も一役買っています。

他に当然増税もありましたが、蔵相が財界に「悪法は承知の上でお願いする」と頭を下げた逸話が残っています。

リーフ書き込みのとおり、まず日銀総裁の首を挿げ替えて国債は日銀が買支えをするという構図です。MMT理論の犠牲となった前々総裁も…。戦争好きの権力のやることはこんなもんです。




































この「郵便電信取扱所」も他の郵便受取所と同様に民間委託です。したがって遞信省職員録には所名も所長名も掲載されていません。

しかしながら、局・所としての格付けは2等局相当で明治38年4月の全受取所廃止に際しては2等郵便局に格付けされています。(一般の受取所は3等局に改定)

民間運営ながら集配まで受け持ち、土地柄で常に外国郵便を頻繁に取り扱うとなればしかるべき措置と思われますが、中宮祠の方は欧米の公使や書記官のためのサービス機関そのものです。
何らかの形で外務省が関わった運営と見るべきでしょう。


































この2リーフは郵便貯金ですが、為替と貯金の関係を私はまだ整理できていません。直接に相関性を求めるのは強引すぎます。

リーフNr.27の下部に示した表を基に、為替の払渡超過額と貯金残高とを比較してみました。










折線グラフで表すべきものではありませんが、為替額との比較で見やすくしました。
東京府を除けばどの県もよく似た数字ですが京都・大阪・愛知だけは百万円前後に達しています。

また北海道は振出超過のトップクラスですが、貯金残高は京都・大阪に次ぐ大きさです。
換言すれば非常に大きい購買力を持っていたことになります。
これは屯田兵や道庁の役人に支払われた俸給に由来すると思われます。ざっと3万人程度です。

敢えて県ごとの「豊かさ」(県民ごとの豊かさではない)を求めるとするならば、為替の払渡超過額ではなく、貯金残高に求めるべきでしょう。

三面等価則のうちGDEの大半を占めるのは、個人所得・企業所得です。為替も貯金も経済活動のうちのリテール部分(為替は遠隔地取引のみ)を担っていますので、貯金残高はそのまま個人所得+中小零細企業の余剰所得にほぼ等しいはずです。




















為替が手形交換所に持ち込まれた経緯はリーフに示したとおりですが、こんな大きな出来事が話題にならないのは不思議です。
世に櫛型の朱印として珍重されているだけで、由来を説明した人は皆無です。




















最終リーフは大量の為替・貯金情報を管理する機関です。
当初は為替貯金局の一元管理であったものが、日露戦争の軍事為替管理等の都合もあり、大阪・下關の2支所開設、さらに情報の分散に不都合を感じ再度一元管理に戻ります。

一元管理後は帳簿式からカード式に切り替えられましたが、この規模になると誤記に基づく違算は恒常的に発生し、事務葉書を使用した口座開設者への照会状がいくらか残存し、照会文は何種類か印刷されています。日付印は当然遞信省構内の丸二や櫛型ですので目立ちます。

フレームごとの紹介はこれで終わりますが、次回はJPSから頂いた講評を紹介し、私なりの考えも書く予定です。