前置き無しでまずリーフをご覧いただきます。
全部で13リーフです。ゴチャゴチャした書き込みがありますので、いつもより大きめのスキャンです。
言わんとするところを御理解いただけましたでしょうか。
以下、長文ですが解説です。
まず、本池悟さんの「詳説 丸二型日付印」(1996年鳴美刊)で東京各局の時刻表示について「未解決」とされた課題を中心に論点整理してみます。
i ) 東京各局の時刻表示は、各局で差し立てる伝送便の発出時刻である。
(ただし、10分単位で切上げ)
ii ) 「しかしながら、規程をすべて無視するわけにもいかない…」
―明治33年公達第768號の規定との違いについて言及しておられます。
公達第768號:時分ハ配達時刻毎ニ之ヲ改植
本池説 :伝送便の発出時刻
iii) 引受印と到着印の時刻を比較して時刻表示体系の違いを見つけだすこ
とはできないが、自局引受=配達の場合は可能。
iv ) 東京局の着印は、36年3月ごろまでは消印の時刻表示とほぼ同じだが、
それ以降には違いがある。
v ) しかし、 i ) に反する時刻表示がある。伝送便末端に近い青山局などは
表示時刻との関係に不整合が多い。
vi ) 3等局・受取所引受の書留便に押された2等局の消印時刻には、当該局
の時刻表示体系に対して例外的なものが多い。
ほぼ以上のとおりであると理解しています。
さて、これの解明ですが国会図書館のデジタル史料から次のものを準備しました。
〇 明治33年公達第432號「郵便取扱規程」
〇 明治37年公達第612號「郵便集配規程」
〇 明治42年三省堂刊「通信要錄」
次に上掲の郵便取扱規程に従って、予め逓信業務用語の整理をしておきます。
( 1 ) 通常郵便:小包郵便の対概念。普通郵便・書留郵便・別配達郵便・約
束郵便等
( 2 ) 小包郵便:通常郵便の対概念。通常郵便と同様に普通郵便・別配達郵
便等がある。
※ 郵便取扱規程の部立ては、 第2編引受第2章 通常郵便
第2編引受第3章 小包郵便
となっています。(第3編遞送、第4編配達でも同様)
( 3 ) 交換便:始点局が逓送人を差し立て交換局で各局差立の便と交換、持
ち戻る便。(取扱規程§97)
東京の場合各支局が始点局、東京郵便電信局が交換局。
( 4 ) 持戻便:始点局が逓送人を差し立て極端局まで往復とも逓送する便。
A局 ⇔ B局間の相互逓送便です。(取扱規程§98)
( 5 ) 片便:始点局が逓送人を差し立て極端局に逓送する便。
A局 ⇒ B局の片道逓送便です。(取扱規程§99)
( 6 ) 受渡便:受渡局 ⇔ 受渡所間の相互逓送便です。(取扱規程§100)
東京郵便電信局 ⇔ 新橋駅間の鉄道逓送便の受渡等です。
ちなみに、明治35年4月現在の東海道線下り神戸行きは
新橋 6:20 ⇒ 神戸 22:47(急行)
新橋 12:20 ⇒ 神戸 7:50
新橋 18:05 ⇒ 神戸 11:19(急行)
新橋 22:00 ⇒ 神戸 18:36
の4便で、鉄郵印もこの時期は「下リ四便」までです。
この神戸行き列車は横濱に寄り道せず、神奈川=平沼直行
ルートです。
新橋=横濱間は別途計30本/日の列車が運行していました。
東京局は市内局との交換便以外に、こういう逓送便の発着も
あることを念頭に置いておきます。
次に先ほどの「郵便集配規程」です。
明治37年の施行ながら、別段新しいことを定めたものとは思えません。
むしろ、
既に実施されていることを事細かに改めて確認し、
以前に個別に指示していたことを改めて集成した
― というほどのものであると考えています。
その第2条です。
「郵便物ノ取集ハ遞送ノ差立便若ハ配達便ニ結束セシメ」
「配達ハ遞送便ノ到著若ハ取集便ヲ結束スヘシ」
つまり、
局の都合だけで取集・配達の時刻を決めるな。局間のネットワーク(=遞送ノ差立便・遞送便ノ到著)の時刻に従え。
ということです。
続いて「其時刻ハ左記各號ニ依ル」として2号並べています。
(1) 取集人出發時刻ハ其結束セシムヘキ主タル遞送便ノ差立時刻又ハ配達
時刻ヨリ第三條ノ取扱時間ヲ控除シタル時刻迄ニ歸局シ得ヘキ時刻
(2) 配達人出發時刻ハ其結束スヘキ主タル遞送便ノ到著時刻又ハ取集人歸
著時刻ニ第三條ノ取扱時間ヲ加ヘタル時刻
この各号列記に出てくる「第三條ノ取扱時間」は、
(1) 取集郵便物ヲ遞送便若ハ取集便ニ結束セシムル取扱時間
通常1時間以内
小包1時30分間以内
(2) 到著郵便物ヲ配達便ニ結束セシムル取扱時間 通常1時間以内
小包1時30分間以内
(3) 集配人郵便物區分時間 通常
小包 共30分間以内
通常郵便で例示すると、
取集出発時刻(12:00)=逓送便差立時刻(15:00)-取集時間(2時間)
-1時間※
※「1時間」は、消印押印と宛先別区分の時間(§3(1))
配達出発時刻(12:00)=逓送便到着時刻(10:30)+1時間※a+30分※b
※a「1時間」は、着印押印と宛先別区分の時間(§3(2))
※b「30分」は、配達順に郵便物を揃える時間(§3(3))
という趣旨の規定です。
この第2条と第3条とは、局内の二つの作業の流れについて規定しています。
一つ目は、郵便物の取集⇒消印押印⇒宛先別の区分け⇒逓送
二つ目は、逓送郵便物の受取⇒着印押印⇒宛先地域別(配達人別)の区分け
⇒配達
当然至極の話ではありますが、その所要時間までを規定しているのがミソです。
また、この規程の第5条では
「市内地郵便物ノ取集ト配達トハ各別ニ之ヲ執行シ市外地ハ併行トス但結束上支障ナキモノハ市内地ト雖モ併行スヘシ」
と定め、多量の郵便物を扱う場合は先の二つの流れは別々に行うよう指示しています。
局内の作業時間については、明治33年の「郵便取扱規程」にも規定があります。
「第3編遞送」の第1章通則第9節締切時刻に建てられている第117~118条です。
第107條 締切時刻ハ差立時刻前左ノ標準ニ依リ之ヲ定ムヘシ
通常郵便物 30分以内
小包郵便物 1時30分以内
第108條 締切時刻前ニ引受又ハ到著シタル郵便物ハ必ス其ノ便ヲ以テ差立
ツヘシ
これで役者が揃いました。
取扱規程は、行嚢締切りの30分前までは
引き受けた郵便物に消印を押す作業を続けなければならない ― という規定です。
そのあとは消印の押印作業はありません。宛先別の区分け作業です。
先ほどの集配規程での例示と合わせると、
取集出発時刻(12:00)=逓送便差立時刻(15:00)-取集時間(2時間)
-1時間※
※「1時間」は、消印押印と宛先別区分の時間(§3(1))
この「1時間」の内訳は、
1時間=消印押印30分+宛先別区分け30分
となります。
これらの具体的な時間までをも含めた諸規定は無責任な架空の設定とは思えません。
基準となったのは東京局の局内作業でしょう。
明治31年度の統計では、
全国の通常郵便引受数は605,347,000通 (遞信省年報第13囘)
うち、東京郵便電信局の取集数(支局を除く)は52,998,000通です。
(東京郵便電信局統計年報)
昔も今も東京はほとんどの統計数値で全国の1割を担っています。
したがって、東京局を基準にしておけば「~時間以下」という規定が問題なく出来上がる次第です。
東京郵便電信局の通常郵便に関する局内作業については「~時間以下」の「以下」を除いてやれば、実際のダイヤグラムが作れそうです。
〇 取集から引き続く作業は、
取集⇒消印押印⇒宛先別の区分け⇒行嚢づくり⇒逓送 で終わります。
したがって、1サイクルは
取集⇒消印押印(30分)⇒宛先別の区分け(30分)⇒行嚢づくり⇒逓送
と想定できます。
また、逓送は本池さんの緻密な考察によって
12回/日であることが分かっています。
(ただし、支局間の逓送のみ。市外便の逓送は多分同時に行われたとみるのがシンプルで良いと思います。新橋駅への受渡便は別にしてです。)
全12
便の逓送差立て時刻=消印の時刻ですので、逓送時刻から逆算すると取集便の帰局時刻が設定できます。
〇 行嚢到着から引き続く作業は、
行嚢到着⇒着印押印
(30分)⇒宛先別の区分け(30分)
⇒配達員の順立て作業(30分)⇒配達
となるはずです。
本池本に掲載された第V期の伝送表を見ると、飯田町局=東京局間は30分(実際は29分ですが日付印の表示は30分差になります。)ですので、全12便の逓送便の到着時刻は
「飯田町局の表示時刻+30分」
となり、ここから全ての配達出発の時刻を想定することができます。
最初の論点整理で示しましたように
iv ) 東京局の着印は、36年3月ごろまでは消印の時刻表示とほぼ同じだが、
それ以降には違いがある。
という考察がありますので、ここでご覧いただくのはこの変化の生じる時期までです。
最初にご覧いただいた1リーフ目の下段の表はこうしてできあがりました。
一目でお分かりいただけると思いますが、最初の「論点整理」
i ) 東京各局の時刻表示は、各局で差し立てる伝送便の発出時刻である。
(ただし、10分単位で切上げ)
ii ) 「しかしながら、規程をすべて無視するわけにもいかない…」
―明治33年公達第768號の規定との違いについての言及です。
公達第768號:時分ハ配達時刻毎ニ之ヲ改植
本池説 :伝送便の発出時刻
このような結束を維持する限りにおいては、公達の「配達時刻」と本池さんの分析による「逓送差立時刻」とは、全く等価であるということです。
ただし、先に書きましたように市内局相互間の通常郵便に限定した単純化された結束モデルと思っています。
2リーフ目と3リーフ目は応用問題です。
論点整理の
iv ) 東京局の着印は、36年3月ごろまでは消印の時刻表示とほぼ同じだが、
それ以降には違いがある。
についてです。
肝心の「第II期36年4月以降」というアイテムが入手できていないままで、忸怩たるものがありますが、恥よりもせっかくの発見を喋りまくりたいとの趣旨でアップしました。
本池さんが本の中で示しておられる「ずれ」の生じた例は以下のとおりです。
36-6-18/前10.10
36-7-28/后4
上掲の結束モデルを拵えていて気が付いたのですが、配達結束で配達前の順立て作業が消えています。
全体から見ればシンプルな仕上がりできれいな図なのですが、通信官署官制施行に際して誰かがどこかで何か言ったのでしょうか。
着印時刻を順立て作業後に修正してやれば、3号交換便由来の配達便は「前9.40」から「前10.10」に変わります。
同様に、7号交換便由来の配達便は「后3.30」から「后4」に変わります。
そしていつの間にか、この理屈っぽい話は消えたのでしょうか。
第V期の例では、元の鞘に収まったと考えたくなるエンタを入手しています。
次に、局間の結束です。
幸いにも飯田町局配達の第V期エンタを1ダースほど入手できました。
ヤフオクの「切手」ではなく「絵葉書」を執拗に追い求めていた賜物です。
これらのアイテムを基に今まで述べてきました要領で結束モデルを作ってみました。
4リーフ目が結束モデルの全体図です。
東京局より規模が小さい分、各作業モジュールが10分短くなり、20分になっていることが見て取れます。
ところが、配達結束にだけ不自然な空白ができます。
配達員の休憩時間とかいろいろ考えたのですが、しっくりきません。
以前にも紹介しました「通信要錄」の抜粋です。
小包便が介在していると考えるのが最も自然であると思います。
リーフでは断定した格好にしています。
最後のリーフは今までの努力をあざ笑うかのような実例です。
配達結束の時刻表示で消印されています。
「間違い」以外の説明を考えました。
一般に消印の前に宛先区分けが行われることはあり得ないとしたならば、唯一の定形たる葉書だけを作業効率化のため予め取り分けたと考えれば辻褄が合わないこともありません。
取り分けたときにたまたま自局配達があったのでそのまま配達結束に廻した
― これなら判らんでもないです。
なお、論点整理の「v ) vi)」は全く解明できていません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いずれにしても、入手はとても困難なものばかりが相手です。
多少の推測なしにはとても分析できるような代物ではありません。
結果として、残存するアイテムが無矛盾に説明できれば「正しい」とせざるを得ないと考えています。
東京市内局の着印のあるエンタはほとんどが災害・戦災で灰燼に帰しています。
残っているのは、コルヴィザールカバーのような海外逃避組やら大繩嬢あて絵葉書みたいな青春の思い出帰郷組くらいと思います。
小包送票はもっと少なく、手紙葉書はそのまま箪笥の抽斗に収まっても小包の包み紙など残すのは、我々蒐集家のような変人ばかりです。
※ 飯田町局配達の絵葉書の受取人「大繩久子」さんとおっしゃる方は、
お行儀悪いながら文面を拝見すると、八戸出身の令嬢でお茶の水の
女高師通学のため麴町に下宿しておられたようです。
当時、女学生の間でも絵葉書集めが流行し、熱中しておられた方と
お見受けします。
奈良にも同郷のお友達がいらっしゃたようで、こちらの方は絵葉書
で「きのう第1子を出産しました」みたいな文面まであります。
(学業をどうされたかまではわかりません。)
最後のリーフは、大繩八重子さんあてですが、妹さんの様です。
【自己評価】
よくがんばりました。
丸二時刻表示の一般解を見つけたみたいな気分になっています。
この結束は、分かったようでわからない分野でした。
色々と考えあぐねて、仕舞には何が分からないのかもわからなくなっていました。
世間では、全日展が開催されようとしています。
ブログの自己紹介欄に書きましたが、アワードにつながるようなコレクションは望めない身です。ひとり全日展のひとりワンフレーム展と思召して、御笑覧いただければ光栄です。