JAPEXに先行しての公開です。
今回の説明はStampediaの参観ガイドブックに寄稿したものをコピーして掲載していますので併せて御覧ください。
参観者に「補助便」という概念を理解してもらうのに苦労しました。
所有物ではないのでリーフには貼れませんでしたが「着印のワ便」というものが存在します。
差立便のワ便はよく知られ使用法も判明していますが、着印は説明が難しくなります。
一般に考えられるのは、
①市内局の窓口で最終通常便差立後、窓口で郵便を引受
②市内局が最終の小包便(=補助便)と合わせて東京局に逓送
③東京局も最終配達を終了しているので、ワ便で引き取り
ですが、この葉書は
①横濱=新橋間を鉄道輸送
②新橋駅との受渡便で東京局へ
としか読めません。
さすれば最終の通常便配達終了後にも東京局は受渡便を差立てたことになります。
考えうるのは、「この最終受渡便は小包のためのものであった」という一点に絞られます。
かように全ての事象を説明できるのは「補助便」の存在です。
続く5リーフはフレーム合わせのための水増しですが、京橋局が誕生した前後で東京/京橋局の配達区域がどう変わったのかをリーフp10の地図で示しています。
東京局/芝口局の配達区境界は本八丁堀/南八丁堀~北紺屋町/南紺屋町の線上にあったことが判明しました。
東京府統計書(明治37年度)に各郵便受取所のリストが所管局別に並べられています。各受取所の場所は縦書印の調査で地図上に落とし込んでいますで、自ずと境界線が浮かび上がってきます。
リーフp13は個人的には大好物です。左側の葉書は日本郵船勤務のPallisterさん宛ですが、東京局が宛名書きの会社を探して二度配達に出しています。
東京局が明治40年に行政区別の詳細な番地入り地図を編纂し、今に残っています。
(国会図書館のコピーはスキャンが粗く拡大するとボヤけますが、今昔マップのサイトでは丁寧にスキャンされています)
その地図で日本郵船が丸之内局の真向かいに位置していたことが分かります。
以下、京橋局の着印はほとんどがパリスター(の奥さん)宛絵葉書です。
局別にまとまった着印のコレクションを作るとなると、このような絵葉書コレクションが一括して出てくるのを待つしかありません。
勢い絵葉書屋さんに頼ることになりますが、ヤフオクの絵葉書屋さんはそこらへんの切手商以上に絵葉書の知識が不足しているのに値札だけはしっかりと1,000円/枚以上を確保しています。
心中でくそったれと思いながら泣く泣く買い付けています。
続いて麴町局の着印=配達印です。さすがにばらばらに集めても7便/12便を入手できました。しかし一等集配局の第2配達便・第2取集便の少なさは身をもって体験することになります。
商用便・使用便を問わず、地域で一二を争えるほど手の速い人/ことを進めるのがゆっくり過ぎる人だけがこの第2便のお世話になります。
第Ⅴ期の補助便はほとんど見つかりません。着印を一生懸命並べた京橋局も麴町局も第Ⅴ期の補助便は入手できませんでした。
続く飯田町局は大繩姓のお嬢ちゃん宛絵葉書です。
続いて本郷局の着印ですが、後の遞信省貯金局長天岡さん宛絵葉書です。これも絵葉書屋さんが「売勲事件の張本人」宛としてよいお値段で売ったはりました。
最後は全く揃っていない駒込局ですが広辞苑の新村さん宛です。差出が現代仮名遣いの安藤さん。葉書文面が気になる方もおられようと、このブログ独占公開ですが葉書裏面も掲出します。
最終の4リーフは次回出展の予告編ですが、先に書いた第2集配便も小包送票もまず残らないものですので、局の確実な集配体系を纏められるのはまだまだ先かと…。
以下は、JAPEX参観ガイドブックの再掲です。
1
現在までの研究史とこの展示の目的
東京の丸二型日付印については、本池悟氏が1995年に「駅逓」誌に時刻欄の分析結果を発表され金字塔となっています。
時刻欄の表示時刻は櫛型印のように押印の現在時点ではなく、逓送のスタート時刻を表示しているというのがこの研究の基軸となります。したがって表示時刻はその時点より30分ほど未来の時刻ということになりますが、これは単に従来便次を示すイ便・ロ便・ハ便…表示であったものを各便の差立時刻に置き換えただけということに由来します。
しかしこれは通常郵便物の逓送についての分析であり、逓送規定上峻別されていた小包便の逓送や配達便の体系については残存史料が無く論及されていません。
この展示は同氏の研究を前提としながら、小包便の逓送や配達便のまで分析の範囲を広げようとするものです。
2 分析手法と参考図書
丸二型日付印が使用された明治後期の郵便局は24時間稼働していました。局の郵便窓口時間は6:00~22:00(冬季は7:00~)でしたが、別配達は24時間受け付けます。
局員も隔日の24時間時間勤務で、毎日の出勤者数は全局員の半数です。郵便・電信各担当1名は徹夜ですが、この2名以外は4時間程度の仮眠が許されます。
かように東京市内局は24時間活動を休んでいません。上掲研究で通常便についての活動は解明されましたが、空白の時間帯が残ります。この展示はその空白を分単位で具体的に示そうとするものです。そのために二つの概念に着目しました。
なお、国立国会図書館デジタルアーカイブに興味深い書籍があります。明治42年の刊行ですが東京郵便局長板野鐡次郎著作の「通信要錄」(一般向けの郵便局業務全般についての解説書)です。
この本に小包便と通常便との扱い方の違いが明瞭に書かれています。「通常便が一刻一分を争うような逓送速度・回数であるのに対し、小包便は通常便の半分以下の逓送回数としている」という旨の記述があり、補助便の差立回数・時刻の確定はこれに示めされた考え方を基礎においています。
また、この時期に刊行された他の書籍にも参考にできるものがあります。在京苦学生のためにアルバイトを紹介した本などです。ここに郵便局での業務内容や正規職員への昇進など詳細に記述され、現場を知らなければ書けないような作業内容や業務用語が随所に見られ信憑性の高いものです。
3 分析手法 その1(補助便)
一つは「補助便」と呼ばれているもので、法令上は「小包便」です。郵便現場の業界用語ですが「小包便」との違いは「最速達経路選択の原則」に従って通常郵便を混入させることにあります。
例えば、最終通常便(19:00~20:00ころ)の差立後に窓口で普通便や書留便を引き受ければ、そのあとの最終補助便(21:00ころの小包便)に一緒に乗せて差し立てます。
このような逓送に対する緻密な配慮の結果として、補助便をはさむ時間帯では①差立作業の局員②配達作業の局員③窓口係員が各々異なる時刻の日付印を同時に持つという現象まで生じます。(リーフp3)
では補助便は何時何分に差立てられたのか。通常便は本池氏によって全容が解明されていますが補助便は記録が無く、残存データの分析からしか解明できません。
展示では、主要な二つの期間(本池氏分類の第Ⅱ期と第Ⅴ期)についてその結果を示しています。(リーフp6/p16)
配達便を除いた差立便(通常便12便+補助便5便)だけを見ても、局員は睡眠・食事以外の19時間、分刻みの時間業務でした。睡眠が4時間、食事が20分×3回。食事時間も差立・配達各12回の作業スケジュールに緻密に組み込まれていました。(リーフp5)
4 分析手法 その2(配達便)
局の24時間の活動を分析する二つ目の概念は「配達便」です。
丸一印の時代から「集・配一体の原則」が厳密に守られてきました。一日の第1取集便はイ便、次の作業=第1配達便もイ便、次の第2取集便はロ便、第2配達便もロ便…という具合です。
丸二印に替わっても差立便の時刻表示はそのまま配達便にも使われました。換言すれば取集便では未来の時刻を、配達便では過去の時刻を表示していたことになります。(リーフp2)
ところが、本池氏の研究によると明治36年4月から到着印には従来と異なる時刻が表示されるようになりました。配達開始時刻です。(リーフp4)
これは東京局に限った事象で、その他の市内局では本池分類の第Ⅲ期(明治36.9.20~)になってから同様の表示を開始しています。
理由は不明ですが、東京局の通常便配達数を見ると明治34年度が17百万通であるのに対し35年度は20百万通にまで伸びています。1日当たり9千通弱の増加です。同じ時刻表示の郵便物が取集にも配達にもでは混乱や事故を招きかねません。あるいは既に起こっていたのか、いずれにせよ深刻な事態だったことは確かです。
しかしこの事象は郵便史の研究にはありがたいことで、局員や集配人の動きをより正確に抑えることができます。
展示では、通常便の逓送、補助便の逓送そして配達便の合計三つの動きについて24時間の表の中に落としてあります。(リーフp16)
差立掛8名、配達掛8名、小包集配掛19名はそれぞれ19時間立ちっぱなしです。35年度の数字で見れば、差立が192千通/日、配達が56千通/日、差立小包が1500個/日、配達小包が600個/日です。
差立便なら1日=19時間で、10,105通/時間 8人で割れば1,263/時間・人です。
しかもこれは局内作業のみについての数字で、取集・配達は傭人(日給月給制の非正規職員)が同じく一日19時間を8km/hで走り回っています。
以上が東京局の局内結束の概要です。
5 東京市内局の結束
第2・3フレームは市内局の局内結束・局間結束です。
最初に、東京局の補助便に結束する各局の補助便差立便時刻を並べています(第Ⅱ期)。通常便の局間結束は全時期にわたって本池氏が解明済みです。その各局12便の差立時刻リストから外れたものが補助便の差立時刻ということになります。
使用済みの単片ですが小包送票に貼られたと思われるものは少なく、書留などの窓口引受の書留便料額が目につきます。
第2フレームの2行目からは各市内局の局内結束を中心に展示しています。各局の絵葉書屋さんで入手したものがほとんどですが、いわゆる「絵葉書値」で随分高くつきました。
局ごとにリーフ上部に集配の時刻を表にまとめていますが、第Ⅴ期になると郵便量が急増し、集配一体の原則が崩れています。集配が同時刻であったり、配達が取集に先行したりと交換局の中心たる東京局に合わせて各局とも集配の時間配分に苦労しています。
東京市内局間結束による逓送や駅受渡便経由の配達は、その経路・時刻を書き込んでいます。
第Ⅴ期になると、従来の補助便が急減します。(リーフp32)遠隔地逓送の中軸たる汽車の便が石炭の戦時規制で減少していますが経済の急成長期ですので時間当たりの輸送力は増大しています。
これらの結果として通常便の逓送時に小包便を併送する傾向が生まれたようです。
6 おわりに
第3フレームの最終4リーフは、ページ数合わせではなく次回出展のトレイラーのつもりです。でも何年後になるか…